現在の野口聡一宇宙飛行士の活動を調べた結果



画像元:https://twitter.com/Astro_Soichi

明後日の徹子の部屋に
野口聡一宇宙飛行士が出ます。

宇宙に行って無事帰還。
その後、どんなことをしているのか。

なぜ宇宙飛行士を目指そうとしたのか。

宇宙飛行士中の出来事を含め、
現在の活動が気になったので調べてみました。

 

野口聡一の簡単な生い立ち

始めに野口聡一宇宙飛行士の簡単な生い立ちから入ります。
1965年神奈川県生まれ。

東大工学部(博士課程まで)を卒業後、
重工業会社に在籍したのち、JAXAに応募して宇宙飛行士となりました。

その後NASAやロシアで訓練を積みながら、
2005年に宇宙へ飛び、今年6月に帰還したのです。

ここから野口さんのインタビューを通し、
より深い生い立ちを見ていきましょう。

turning pointというサイトのインタビューによりますと、
宇宙飛行士になる夢を抱いたきっかけは二つありました。

一つは宇宙を題材としたアニメです。
銀河鉄道999、宇宙戦艦ヤマトといった作品です。

もう一つは高校時にみたスペースシャトルの打ち上げ

画像元:https://youtu.be/JVCJy1NpR80

スペースシャトルを調べたところ、
NASA(アメリカ航空宇宙局)が作ったロケットの名称で、
ロケット全体を示す言葉ではありません

二つを通し絵宇宙飛行士になりたいと強く思った。

ただし、すぐなるための活動をしたかといったら違った。
野口青年が学生だったころ、宇宙飛行士の応募があったけど、
地に足をつけるために参加しなかった。

将来を見据えつつ、今できることをこつこつとやっていく道を選んだのです。

順調にキャリアアップを重ね、改めて宇宙飛行士の公募に手を出した。
この時、新たなステージへ立つことにワクワクしたとのこと。

一方で将来の道に関するリスクも十分に検討したと述べています。
宇宙飛行士を選ぶのと選ばないのとで、どちらをとってもリスクはある。

双方のリスクを出したうえで「それでもやりたい理由」を検討していった。

僕が思うに、宇宙飛行士を選んだほうが、
死へのリスクも大きく高まると考えています。

宇宙飛行士になるなら、死ぬことは当たり前。
くらいのリスクを持たないと、選べないのかもしれません。

 

簡単に振り返る宇宙飛行士の歴史

画像元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71319

「宇宙飛行士」の歴史を簡単に見ていきましょう。

第二次大戦後の米ソ冷戦にて、米国とソ連(現在ロシア連邦)は、
宇宙に行くため、それぞれ競い合っていました。

1959年にソ連が宇宙へ行くための開発を始めた。
61年、ソ連は有名な飛行士ガガーリンを載せて、
ロケットを使って大気圏外まで飛んだ

※月面着陸はアメリカが最初。

大気圏外はおよそ2時間弱いて、
「地球は青かった」と有名な発言を述べたのち、
無事に地球へ帰還したのです。

※ちなみにもう一つ「神はいなかった」とも発言していたとのこと。

日本の宇宙飛行士として、秋山豊寛さんが1990年に、
毛利衛さんが二人目と続き……野口聡一さんが2005年から宇宙にいた

現在、星出彰彦宇宙飛行士が船長となって宇宙ステーションにいるとのこと。

 

帰還後の活動を調べた結果

画像元:https://twitter.com/Astro_Soichi

野口聡一さんは今年6月に地球へ帰還しました。
帰還後、どんなお仕事をなさっているのか。

マイナビニュースのインタビューによりますと、
帰還後はNASAでリハビリに取り組んだ後、日本に帰還。

現在はアドバイザーとして活躍なさっています。

一つ、気になりました。
過去、宇宙へ行った飛行士たちの現在はどうなのか?

二人ほど調べてみました。
始めは女性初の宇宙飛行士、向井千秋さん。

画像元:https://youtu.be/XooXk3ScQ3Y

帰還後、彼女は東京理科大学スペース・コロニー研究センター長、
そして花王株式会社の社外取締役になっています。

毛利衛さんは科学未来館の館長を今年3月に退任
他には宇宙飛行士や物理系の教育を行っているとのこと。

宇宙飛行士のその後を見ると、たいていは大学教授になっているのです。
あるいは向井さんのように別の会社に絡んでいます。

野口さんもいずれどこかの大学の教授になるのか、
それとも技術者として企業や大学を支えていくのか。

わからないけど、宇宙飛行士のキャリアを生かした道へ進んでいるのですね。

 

野口飛行士が日本へ帰還した後

最後に野口飛行士がニッポン放送のインタビューに答えていました。
宇宙から日本へ帰還後、そばを食べに行った。

宇宙でもラーメンを食べる機会はあったけど、やや濃いめの味とのこと。

新型コロナが蔓延していなければ、
今頃様々な施設に飛んで、あれこれ改善策を述べていたと述べています。

コロナが蔓延し、自宅での仕事を余儀なくされた。
楽だけどもどかしいと述べていました。

インタビューを読んでいると、浦島太郎気分を味わったでしょう。

2005年に飛び、21年6月に帰ってきた。
本当に長い宇宙生活でした。お疲れ様です。