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あさってのホンマでっか!TVに、
歌手の大黒摩季さんが出ます。
僕からすると、
大黒摩季さんが地上波に出てくること、
それもバラエティ番組に出ること自体、
とてつもない大きな出来事だと思います。
もちろん大黒さんがラジオをやってるの、
知っていますよ。
それでも地上波テレビ、
それもバラエティに出るのが
「何かあったのか」
思わずにいられなくなったのです。
色々調べると……休業期間だなあ。
ここが大黒さんにとっての分岐だったんだな。
大黒摩季の簡単な生い立ち
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始めに大黒摩季さんの簡単な生い立ちを書きます。
1969年大晦日、北海道は札幌で生まれました。
2021年時点で51歳とのこと。時の流れは速い!
3歳のころからクラシックピアノをはじめ、
すでに作曲もこなしていたとのこと。
体育では跳び箱の陰でイヤホンをつけ、
一人こっそり音楽を聴きまくっていたのです。
感情を言葉で表すのは苦手だが、音楽ならできる!
後にラジオを聴きながら、歌にも目覚めていったと、
エコノミストオンラインインタビューで述べています。
藤女子高校を出た後、上京しました。
大黒摩季がビーイングを選んだ理由が鋭い!
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大黒さんは1989年のビーイング(B’zなど所属)オーディションを受けました。
もちろん合格したものの、いきなりデビューとはいかなかった。
「まずはコーラス(下積みからやりましょう)」
他のレコード会社オーディションにも合格し、
「すぐデビューできますよ」といわれたものの、
大黒さんは下積みの道を選んだのです。
後に大黒さんは答えています。
「すぐ出そうと言ってくる人にビジネスのにおいを感じた。
音楽に対し、自分がはじめから完ぺきとは思えなかった」
もう一つ。
「ビーイングは他と違って音楽論やアーディストの在り方を語った。
そこらがとても面白く感じた。そして曲をこきおろされた」
コーラスで歌唱力を鍛えていたのですが、
なかなかデビューの芽がなく、いったん会社から離れて渡米するのです。
少し話をそらします。
僕にとって大黒摩季さんといえば、スラムダンクのEDなんですけど、
DEENの歌を聞いていた時、コーラスに大黒さんがいる!
すぐにわかりました。声からすごく個性、R&Bの雰囲気があるのです。
あれ、下積みの一環だったんですね。
僕はDEENの曲が売れるよう、先輩の大黒摩季さんが手伝ったんだなあ。
当時の僕は思っていました。
実際にDEENと大黒さんのデビュー曲年数を調べると、
大黒さんのほうが1年早いんですよね。
大黒摩季デビュー裏話
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コーラスの仕事しかなく、いったん会社から離れて渡米したところ、
なんと渡米先でビーイングの社長が電話が去った。
「歌手デビューの話が進んでいるよ」
すぐさま戻ってきて、92年に「STOP MOTION」でデビュー曲を飾ります。
当時のドラマ主題歌であったものの、売り上げはいまいちだった。
次の曲がホットヌードルのCMソング「DA・KA・RA」であり、
音楽はもちろんだけど、CMの異質さが話題になっていたとのこと。
当時、ターミネーター2の役者と日本の役者が合わさり、
視聴者に大きな衝撃を与え、爆売れするのですが……
何と裏エピソードとして、デビュー曲があまり売れず、
再びコーラス下積みに戻されたところ、
お世話になっていた人からの頼みで、1日で仕上げてしまった。
社長に話を通していないから、CDが爆売れした後、
社長からこっぴどく叱られたとのこと。
その後はどんどんヒットを飾り、僕の中で思い入れのある曲としては
「あなただけ見つめてる(スラムダンクED)」
「ら・ら・ら、あぁ(味いちもんめテーマ)」
特にスラムダンクのEDを聞いて、姉がハマり、次に僕もはまった。
大黒さんはテレビに出て歌う人でないから、
ある音楽告知番組コーナーに大黒さんが出たら、手を叩いて喜んだものです。
97年のMステスペシャルにて、初めて顔を出したのですね。
当時の僕はたぶん見ていたはずだけど、記憶から抜け落ちていました。
一時活動休止からの復活
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2010年に大黒さんは子宮疾患のため、一時歌手活動を休んだのです。
この時期、病気だけでなくお母さんの介護にも携わり、
休業活動中に歌手とは違う、芸術以外の人生を歩んだ。
婦人公論のインタビューによりますと、
大黒さんのお母さんは脳出血かつがんを患っていた。
母との衝突も絶えない日々だった。
ある時、気が付いた。お母さんを笑わせてあげるか。
ありがとう、ごめんをいかに素早く言うか。
忍耐力を養う修行の一つなんだ。
考え方を変えてから、介護生活の厳しさは変わらなかったけど、
お母さんとの付き合いは変わった。
くわえて2015年に再び活動をはじめ、ラジオDJ、楽曲提供、
地元のキャンペーン参加と現在へ至るようになった。
新型コロナウイルスが蔓延し、歌手活動にも影響が出たとき、
介護生活で培った忍耐力が、いい意味で大黒さんの支えとなったのです。
婦人公論で彼女は述べています。
「苦痛の時は向かい風ばかりだが、向きを変えれば追い風になる」
この発言、なかなかすごいなと。
大黒摩季が現在も歌い続けられる秘訣
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最後に一つ。エコノミストオンラインというサイトで、
大黒摩季さんが歌い続ける秘訣を述べていました。
有名にもスターにもなりたいと思わない。
ただ音楽を続けたかった。
スタッフらと仕事をして朝になることも多いけど、
少しでもいい音楽や声を探し、ひたすら追求していく。
ロールプレイングゲームのような、オタクの感覚でやっている。
もう一つ、インタビューで休業期間について触れています。
自分はジェットコースターのような性格だ。
いい時はいいが、落ち込むときはとことん落ちる。
だからこそ自分を励ます、奮い立たせるために曲を作ってきた。
自分の歌を聞いて「己を奮い立たせたい!」願うファンがついてきた。
シンプルだから強いですね。