五月千和加にとって殺人の”真相”があまりにも悲しすぎる!



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来週水曜日の今夜くらべてみましたに、
日本舞踊界のスター、
五月千和加(さつきせんわか)さんが出ます。

日本古来の固いイメージとは違い、
ギャル風メイクと瞳の大きさから、

「新しい風が吹いたなあ」

印象を抱きます。

五月千和加さんを調べたらすぐ、
「殺人」という物騒な検索結果が現れました。

舞踊の発表会で殺人という名の劇が
あるのでしょうか?

あるいは親族の誰かが、
人を殺してしまったのでしょうか?

大変物騒で気になるので、
色々調べたところ……悲しい

 

三代目五月千和加の簡単な生い立ち

五月千和加

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初めに五月千和加さんの簡単な生い立ちを見ていきます。

1992年1月東京都生まれの2020年時点で28歳。
目白大学社会学部を出ております。

日本舞踊五月流の3代目家元であり、2歳からすでに初舞台に出ている大先輩!

千和加は本名でなく落語のように脈々と受け継がれる名前です。
本名はわかっておりません。

五月流三代目を9歳で、18歳で千和加を襲名しました。

現在は五月流のために弟子の指導をはじめ、
五月流を知ってもらうためのタレント活動。

そして日本舞踊の発展のために、異業種からも学び、
見た目は派手でも芯の太さをうかがえます。

五月千和加

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インタビューによりますと、
おなかにいる頃から三味線の音を聞いて感覚を養い、
はいはいしだしたころからすでにお稽古が始まった
と述べています。

9歳まではおばあちゃんから指導を受け、よく扇で頭を叩かれておりました。

千和加さんからすると初代が鬼婆に見えたでしょう。
おばあちゃんから見ますと、孫の指導は大変だっただろうなあ。

甥っ子と接していると、よくわかります。
ちょっと油断したすきに、交通事故であの世に行く寸前でしたから……

話を千和加さんに戻します。

18歳で弟子をとりはじめ、指導をしながらどんどん、
発表会に出させて実力をつけさせている
とのこと。

教えてもらう人が厳しいと、自然と厳しさを教えるようになりますね。

ちなみに厳しい教えにもかからず、彼女への評価は厳しい。
特に厳しい意見がこちらにあります。

 

五月流の簡単な生い立ち

五月千和加

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日本舞踊は歴史と伝統があります。

五月流は昭和50年(1975)に五月千王(初代家本)が、
坂東流を辞めて五月流という新しい流派を作りました。

※坂東流は坂東三津五郎3代目を流祖とする、日本五大流派の一つ。
坂東三津五郎3代目は江戸時代後期の歌舞伎役者。

昭和53年に二代目家元千和加(現在は二代目千介:せんかい)が生まれ、
宗家を千介、家元を千和加として機能しています。

三代目千和加さんは初めから千和加という名でなく、
五月光で大きな舞台に出ておりました。

18歳になって光は千和加と変わったのですね。

僕が舞踊方面の歴史や伝統を知らないので、
名前一つを追いかけるにも苦労しました。

 

五月千和加三代目の母(二代目千介)がまさかの!

五月千和加

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五月千和加三代目の母親である二代目千和加こと、
二代目千介さんはツイッターをやっています。

二代目千介さんのツイートは千和加三代目と同じくらいとても柔らかく

「だから三代目もギャルなのかw」

親もギャルっぽさを兼ね備えているのです。
公式ホームページだと白黒写真かつ髪の毛も黒く、お堅い印象しかなかった。

ツイッターを見ると軽くてびっくり。

千介さんも千和加さんと同じく日本舞踊はもちろん、
日本伝統の発展のために現代社会へ親しむ努力をしています。

 

五月千和加と殺人の関係を調べた結果

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五月千和加(三代目)さんを調べると「殺人」という物騒な検索結果が現れました。

歌舞伎役者に尾上辰巳さんがおりました。

2011年に代々木公園で首をつっているのを発見し、
32歳の若さでお亡くなりになりました。

尾上辰巳さんの画像はほとんどありません。

遺書はないけど自殺と警察は断定
なくなる前、尾上辰巳さんは知人と話をしてました。

知人が目を離したら、首をくくっていたとのこと。

当時のニュースに、ある演劇評論家が論じています。

尾上辰巳という名前はあるものの、大きな看板を背負った題目がなく、
将来の行方について、いろいろ焦っていたのではないか?

尾上辰巳さんと一緒にいた知人が三代目五月千和加さんではないか?

あるいはかつて五月千和加さんと尾上辰巳さんがこっそり付き合っており、
本当に自殺だったのか、もしかして……と一部の人が殺人疑惑を抱いてしまった

そこから「殺人」という言葉が取り上げられたのではないか?

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尾上辰巳さんが亡くなる数か月前、東日本大震災がありました。

尾上辰巳さんのブログによりますと、
生きることの大切さ、震災を通して亡くなった人たちのためにも、
命ある限り生き続けなければならないと書いていました。

まじめな性格だからこそ、深く考え込みすぎてしまった。

別の道に走ってもいいんだよと僕なら思いますけど、
本人が許さなかったのかもしれません。

五月千和加三代目が人を殺したとか、演目タイトルが「殺人」ではなかった。

五月千和加さんにとって検索結果は迷惑な話だけど、
迷惑で切り捨てられるほど簡単な話でもありません

 

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