画像元:https://www.instagram.com/ayako_fuji_official/
明日の火曜サプライズ、
あさっての今夜くらべてみましたなどに、
演歌歌手の藤あや子さんが出ます。
10代向けFMを聞いていると
演歌歌手がゲストとして出ており、
「演歌業界もかわりつつあるなあ」
思ってしまうのです。
Jポップしか聞かなかった僕の友達も、
「演歌って心にしみこんできて、年をとったなあ」
感想を述べたとき、驚いたと同時に、
「わかるわかる」と感じてしまったのです。
演歌といえばおじいちゃんおばあちゃんが
メインターゲットじゃないですか。
(そう思っているの、僕だけかな?)
最近の演歌歌手は若手向け番組にも出て、
演歌を提供しながら、
演歌と何かを組み合わせて提供もしています。
例えばラップとか、Jpopとか。
さて僕が生まれたころから藤あや子さんはいました。
彼女はどういう経緯で演歌歌手を目指したのか。
生い立ちが気になり調べたところ……
まさに演歌歌手になるべく生まれた人ですね。
藤あや子の簡単な生い立ち
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初めに藤あや子さんの生い立ちを見ていきます。
1961年5月秋田県生まれの2020年時点で59歳。
ゴールデンライフというサイトのインタビューによりますと、
家族や親せきの前で歌を披露していた少女でした。
当時秋田県からアイドルとして成功を収めた桜田淳子さんに憧れ、本当はアイドルになりたかった。
しかし親戚の前で「アイドルになる!」言いますと、
馬鹿にされる恐れがあって、周りには言わなかった。
10歳の時、秋田県のお祭り「おやま囃子」の山車に踊り子ととして出たいため、民謡を習います。
年を取るとともに民謡歌手として地元で活動しながら
角館南(かくのだてみなみ)高校在学時(現在は廃校)はロックにもはまっていたのです。
※今もロックは好きで、洋楽歌手ライブによく藤さんの目撃情報があるとのこと。
高校を出た後は就職しながら民謡歌手としてもお仕事をなさり、
事務員として働いていた歌謡学院で運命の出会いがありました。
藤あや子ほかの人生を激変させた猪俣公章とは何者?
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生徒募集オーディションで川中美幸さんの曲を歌ったとき、
猪俣公章さんの目に留まり、東京でレッスンを受けます。
猪俣公章さんのレッスンを通してだんだん、
民謡から演歌歌手へと路線を変えていったのです。
藤あや子さんの歌手人生を大きく変えた猪俣公章さんは何者か?
僕も名前と演歌界の大物だけは知ってますよ。
ちょっと調べただけで、坂本冬美さんやマルシアさんといった、
大物演歌・歌謡曲歌手が「恩師」とほめたたえています。
猪俣先生の生い立ちをざっくり紹介しますと、1938年生まれ1993年死去。
小学校5年生ですでに作曲の才能を出し、進路も決めていました。
森進一さんに楽曲提供し、ヒット作を次々出した。
猪俣さんの内弟子として坂本冬美さん、マルシアさんがおります。
当時のエピソードとして坂本さんは猪俣先生の家にて、
住み込みという形で鍛えてもらいました。
家事、ペットのお世話、猪俣さんが夜の店で飲んでいると、
坂本さんがいきなり呼ばれ、みんなの前で歌わされ、
「へたくそ」と酷評され、日々涙をこぼしていたとのこと。
それでも坂本さんの才能を見出したのが猪俣さんであり、
藤あや子さんも同じように才能を見出し、
東京でレッスンし、かなり叩かれたんだろうなあ。
猪俣さんは作曲家としての楽曲提供だけでなく、
次世代の指導にも力を注いでおり、すごい先生と慕われているのですね。
猪俣さんの名前は知っていましたけど、
改めて彼の功績と藤さんや坂本さんのかかわりを調べますと、すごいに説得力がつきます。
なぜ藤あや子は芸名を変えたのか?
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藤あや子さんに話を戻します。
はじめ「村勢真奈美」としてデビューしました。
インタビューによりますと、デビューしてから10年は辛かったとのこと。
気持ちよく歌えない、歌うことがこれだけ苦しいとは。
『雪 深深』という曲を通し、藤さんはスランプを乗り越えます。
※雪 深深は藤さんの故郷を舞台にした歌。
さて藤さんは最初「村勢真奈美」だったのに、
89年(平成元年)に「藤あや子」と名前を変えました。
一般的な改名理由として、売上があるでしょう。
二番目の理由として心機一転があります。
僕も「村勢真奈美」と「藤あや子」なら藤さんのほうが覚えやすい。
漢字とひらがなの組み合わせがいいんですよ。
PRTIMESというサイトでは歌手としての本格活動を理由に名前を改めたとのこと。
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ここで、ライブドアニュースに驚きの内容がありました。
村勢真奈美だったころ、2つ年上の男性と結婚しお子さんを産みました。
翌年に旦那さんと離婚したのですが……旦那さんが自殺。
理由はわかっておりません。
改名した理由は心機一転ですが、結婚生活も響いているのでは?
男女の恋愛と悲哀は演歌に欠かせないテーマです。
先日シングルを出した坂本冬美さんの
「ブッダのように私は泣いた(桑田佳祐作詞作曲)」も、
男女の浮気と決別そして新しい生き方をテーマにしています。
※FM局で激プッシュされている歌。
言っちゃ悪いですが、藤さんは演歌のために生まれた女性であり、
演歌らしい生き方を送っているなと感じました。
さて藤さんは92年の「こころ酒」ヒットを皮切りに、
紅白歌合戦へと出場し、現在もいろいろ活躍を広げております。
活動の一つがブログであり、猫ちゃんをこよなく愛し取り上げているのです。