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今週土曜日放送
炎の体育会系TVに元巨人選手、
現役巨人コーチの元木大介さんが出ます。
僕は巨人ファンではありません。
名前だけは知っているのですが、
具体的にどこが素晴らしい選手だったのか。
パッと指摘できないので、色々調べてみました。
まずは年俸推移と現在の収入を見たら、
やっぱり……え!
元木大介の簡単な生い立ち
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初めに元巨人選手元木大介さんの簡単な生い立ちを見ていきます。
1971年12月大阪生まれの2020年時点で48歳。もう少しで49歳を迎えます。
身長は180cm、体重83kg。
幼い頃から野球と接しておりました。
南海ホークス(現ソフトバンクホークス)ファンでありながら、
ホークスジュニアクラブにも入っていたとのこと。
※今年のソフトバンクホークス強すぎ。
他があまりにも弱すぎ、日本シリーズは愕然としましたよ。
小学校6年生時、王貞治さんと会いました。
※当時は巨人監督、後にソフトバンクホークス監督。
現在はホークス法人会長を務めている。
※ホークスの監督は工藤公康さんで、元巨人選手かつ一時期元木さんと同期だった。
記念撮影を行ったのち
「プロ野球になるなら巨人に来なさい」
激励を通して巨人ファンに変わったとのこと。
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大阪上宮高校では3年連続で甲子園出場を果たし、
一試合に二つのホームランを放つなど、素晴らしい成績を収めました。
高校時代のエピソードとして、かなりモテていたとのこと。
もう一つ有名な話もありますが後で語ります。
野球部引退後ドラフト会議があって巨人に指名されるかと思ったら、
福岡ホークスから1位指名があったものの断りました。
そして1年間のハワイ留学を経て90年(当時21歳)に巨人から指名。
内野手か外野手を勤めていたのです。
2000年に日テレアナウンサーだった大神いずみさんと結婚、
2003年以降はケガが理由で戦力外通告をされ、33歳で現役引退を決めたのです。
もちろんほかの糾弾からは声があったのだけど、
「巨人一筋、巨人から断られたら引退を決めている」
覚悟を持ちつつ
「いつかコーチなど別の形で巨人に帰ってくる」
原監督からの激励が生涯巨人でい続ける人間へと育つとは。
何が人生をかえるかなんて、わからないものですね。
引退後はタレントとして活動しつつ、
2018年に念願の内野守備と打撃コーチという形で帰ってきたのです。
元木大介の年俸推移
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元木選手の年俸推移を大まかに見ていきますと、入ったばかりの年俸は840万円でした。
少しずつ年俸は上がり、94年には一気に2000万円、
ぐんぐん伸びていって2002年に1億円をこえました。
最終年俸は1億円とさがったものの、
巨人にとってなくてはならない選手だったと分かりますね。
野球ファンからすると「それほど大きな年俸でもないな」
画像元:https://baseball-data.com/ranking-salary/all/
比較として今年の年俸ランキング1位選手を見ますと、
およそ65億円ありますから「それほどでも」思ってしまいますね。
※今年年俸一位の菅野智之選手は原辰徳監督のおじさんとのこと。
現在はコーチとして働いています。
年収はおよそ2000万円ほどといわれており、普通に高いよね。
現役と比べたら低いけど、94年以前の年俸に比べたら十分高いのです。
元木大介の練習嫌いがもたした恐エピソード
画像元:https://youtu.be/MJMQMuhgN-0
高校時代エピソードで気になる個所がありました。
知恵袋によりますと練習嫌いで自分勝手な行動も目立っていた。
元木選手がまじめに練習していたら新しい選手をわざわざとる必要もなかったと、
元中日監督の落合さんが述べていたとのこと。
元木さんも自伝で「自分はサブの立場でいい」書いており、
本気でやればもっと伸びていた……残念がるファンの声を知恵袋ほかで見つけました。
僕としてはものすごく興味深いエピソードです。
まず元木さんは自分の立場と限界を悟っている。
立場内で最大限の活躍ができるために頭を使っている。
弱みを無駄と捉え徹底的にそぎ落とし、自分として最大限発揮できるところに集中していく。
何でもかんでも力を入れるのでなく、超大事な一つ以外は力を抜いてもいい。
体より頭をすごく使っているなと思ったのです。
実際コーチとして巨人への貢献度がものすごく高いうえ、
コミュニケーション能力の良さ、奇抜な戦術など「参謀」としての評価は良い。
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後元木さんがホークスを断って一年間ハワイ留学をしました。
練習環境が日本よりも悪く、地元少年野球コーチに頼み、
マシンとボールを借りながらひたすら打ち込んでいた。
試合は草野球や無名の大学チームと行い、実力をつけていました。
巨人に入ってから、一時期プロとのレベルに差を感じ、
挫折を味わうものの……彼はすぐ現実を選び「夢」を捨てた。
巨人は強い選手が多いからこそ、強い間には隙間ができる。
隙間部分(つなぎ、内野手や外野手といった便利屋)に注目した。
サブだからこそ彼は活躍できたのです。
練習嫌いといわれてるけど、見方を変えれば頭をよく使う選手だった。
何でもかんでも力を入れるのでなく、オンオフをはっきり定めていた。
元木さんにとって力の抜く場所は他選手が補えばいいだけの話ですからね。
なお同じく練習嫌いで「さぼりの●●」といわれながらも、
成績を残した選手といえばこの方がいます。
二人とも本能で「意味のある/ない練習」を嗅ぎ取っていたのかな。
元木選手は大きく活躍しなかったけど、
みんなのつなぎ、スキマや穴を埋める存在として必要だった。
年俸が上がった大きな理由も隙間を埋める人材が
巨人にはあまりいなかったせいと、僕は考えています。
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