元木大介が天才なのは大胆かつ繊細な攻めと卑怯な戦略のおかげ!



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あさっての番組炎の体育会家TVに
現役巨人コーチで元選手の元木大介さんが出ます。

幼い頃から南海ホークスファン、
小学校6年生で当時監督だった、
王貞治さんと出会い、巨人ファンに転向。

甲子園は3年間連続出場し、
本塁打を放つなどチームの勝利に貢献。

ドラフト指名されるものの
巨人でないから断り、野球留学を経て、
社会人として巨人から指名。

移行、引退までほか球団に所属せず、
巨人一筋で活躍しており巻いた。

引退後はタレントとして活動しつつ、
元日テレアナ大神いずみさんと結婚

そして2018年に巨人打撃コーチとして
仕事をなさっているのです。

僕が子供だった頃から元木大介選手は活躍していましたが、
今一つとびぬけてない印象がありました。

僕が巨人ファンでなかったせいもあるでしょう。
なんで彼が巨人にいるんだろう。

当時の巨人は一流で活躍してる選手が
列をなして争っていた状態だったのに。

元木元選手のすごさはどこにあるんだろう?
気になって調べたところ……

 

元木大介選手の「甲子園」伝説

元木大介

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元木選手は小学生時代から野球選手でした。
上宮高では3年間甲子園の選手として出場していたのです。

現野球解説者で元広島カープ選手(一筋)だった、
前田智徳さんがビジネスインタビューで述べています。

自分が高校生だったころ、3度甲子園に出場していた。
しかし目立った活躍はできていなかった。

一方同期の元木はとても目立っていたと。
春の選抜では6本の本塁打を放つほどの強打者だったのです。

別の記事で元木さんは甲子園のアイドルとまで呼ばれていました。

色白イケメンでかっこいい選手だっただけでなく、
「強さとはかなさ」というドラマがあると述べています。

春の選抜決勝では自軍エラーによって敗北を喫した際、
みんなの前で大きく悔し涙を流しており、ドラマを感じさせずにはいられません。

さらに元木選手にはこういう技があった。

 

元木大介「隠し玉」伝説

元木大介のかくし球

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1988年選抜甲子園にて元木さんはショートを守っていた。
ベースから離れた二塁ランナーに近づき、ぽんと触れた。

なんと元木選手はピッチャーにボールを渡さず持っていた。
ベースから離れた選手は当然アウト!

「隠し玉」といわれる技です。現在の高校野球では禁止されてるとのこと。

当時は禁止されなかったけど、原因を作った選手が元木さんだった。

試合は勝利したものの抗議の電話が鳴り響いたとのこと。

「卑怯な真似をするな」

元木元選手からすると
「なんでみんな怒ってるの? ルールの範囲内で勝負に挑んだのに?」

プロ野球選手になってからも二度、元木さんは隠し玉をやっております。
野球の珍プレー好プレー動画でも隠し玉特集をやっていました。

ボールは必ずピッチャーに渡すもの。ランナーとしての思い込みを利用した技ですね。

後にインタビューで元木選手は答えています。

ピッチャーの演技力が重要で、正直な人ほど失敗すると。
桑田真澄、斎藤雅樹選手はとても演技力のうまい人だったと。

 

元木大介「変わり身の早さ」伝説

元木大介

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元木選手は隠し玉以外にも曲者と呼ばれていました。
曲者といわれた原因を調べたところ、僕は彼に拍手しちゃいましたよ。

当時の巨人はみんなが4番選手といわれるほど、強くて力のある選手の集まりでした。

ハワイでの野球留学を経たのち、元木選手は巨人から指名されます。

最初から一軍でなく、はじめは二軍からのスタートでした。
はじめは彼自身も4番打者の気持ちで本塁打を狙いまくっていた

しかしプロの世界は甘くなく、本塁打もほとんど打てません
自分が一群として生き残るにはどうすべきか?

そこで元木選手が取った対策は

  • 取材拒否=謎が多い選手という位置づけ
  • 控え選手の一番を目指す=何かあったら元木を頼れ
  • 本塁打をあきらめ右打ちに転向
  • 記録係に聞いて配球を学ぶ

現実がこうだから何がなんでも道理を通すのでなく、
むしろ現実に合わせる形で自分を変えていったのです。

結果、勝負勘が強くなり「ここぞ」という時に力を発揮できる、
まさに巨人になくてはならない選手へと化けました。

元木大介

画像元:https://youtu.be/MJMQMuhgN-0

現実の流れに乗るのは大変です。

僕の友達も仕事のやり方を変えるのに体を壊したと述べていましたし、
僕もうつ一歩手前まで行くほどです。

元木選手は20代半ばで自分を変える覚悟をとった。
野球に対する愛情とチームに対する貢献心がないとできないでしょう。

元木選手にとって自分を好きかって書いた連中が、
一つの動機へとつながったと述べています。

道理を何が何でも通す人は天才というよりは愛すべきバカです。

現実がこうなら自分もこう変える人は天才だと思います。
その場その場の流れに合わせる柔軟さがあるので。

ちなみに元木選手にとって長距離を打つのが夢だったとのこと。
夢をあきらめてでも現実に合わせたのですね。

試合で何度か本塁打を放っているので、夢はきちんとかなっています。
(上記画像はサヨナラホームランの瞬間)

 

長嶋茂雄や落合博満が語る元木のすごさ

元木大介

画像元:https://youtu.be/RDWS2f3O7rA

当時の巨人監督だった長嶋茂雄さんは述べています。

「理想の巨人は元木を使わなくてもいいチームだ」

一件元木さんを悪く述べているように見えますが、
裏返すと元木さんなしでチームは勝てなかった

巨人がピンチだった時や、最適な選手がいない場合、
すぐ適応できる元木選手が使われたのです。

敵だった中日元監督星野仙一さんは述べていました。
「元木は何をしてくるか読めない」

元チームメイトで監督だった落合博満さんは、
「元木がバッターとして最も素質ある選手だ。ただあいつはさぼる」

元木さんって周りからこう見られていたのですね。

なおさぼりに関するエピソードはこちら。

ちなみにコーチとしての元木さんは周りから

監督を含む周りが全く気づかない、選手の弱みや強みを指摘できる

参謀として高い評価を得ています。

 

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