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今週のアメトークになんと
ドロンズの石本さんが出るとのこと。
ドロンズという単語自体、
久しぶりに見た名前なので震えました。
ドロンズという単語に震えるあなたは
僕と同じ世代でしょう(笑)
電波少年のヒッチハイク企画で、
一時有名になりましたもの。
※先輩が猿岩石、
今の有吉さんがコンビだったころの時代。
電波少年が終わり、
ドロンズの名前も聞かなくなりました。
干されていたのか?
もう芸人を辞めたのか?
色々気になることが多く、
アメトークで久しぶりに彼の名前を見たとき、
ほっとしたと同時に、
「色々あったんだなあ」
ドロンズ石本という単語から、
色々浮かべてしまうのです。
電波少年後から現在まで何があったのか?
色々調べてみました。
ドロンズ石本の簡単な生い立ち
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ドロンズ石本こと石本武士さんの簡単な生い立ちを紹介します。
1973年広島県生まれの2021年時点で47歳。
お父さんは新聞記者とのこと。
広島県工業高校を卒業後、芸人になって大島直也さんとコンビを組み、
電波少年でヒッチハイク企画の後、なんと2003年に解散。
解散後は実業家として飲食店を営みながら、
芸人、役者として生計を立てているのです。
これだけだと浅いので、深く掘り下げていきましょう。
ヒッチハイク企画の思い出
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ドロンズ(大島さん、石本さん)といえばヒッチハイク旅です。
僕が若い頃、進め電波少年を見ていました。
企画で南米ヒッチハイクが行われたのです。
日テレスタッフはコントライブを繰り広げていたドロンズを拉致、
ドロンズの二人はわけも分からず空港へ運ばされた。
もちろん日本を経つ前に企画の内容を知らされた。
洗濯物を干したまま、いきなり企画をやらされた。
当時、石本さんには彼女がいた。
彼女に「今からヒッチハイク企画やるんだ」言ったとき、
彼女は「ふーん」と答えていた。
最初はアルゼンチンからスタート。
当時ヒッチハイクの先輩だった猿岩石から
「とにかくバイトしろ、金をためろ」とアドバイス。
ヒッチハイクではスタッフが強盗の被害にあったこと、
そしてスペイン語と現地でのコントが記憶に残っています。
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ドロンズはお金を集めるため、コントを思いついた。
コントをしながら投げ銭をもらい、その日の食事代を得る。
仕事探しがきっかけで、現地の小学校でお世話になりました。
そこでドロンズは小学校の手伝いをしながら、
子供たちと一緒にスペイン語を学び、子供たちと遊び、
コントを見てもらい、だんだん笑いをとれるようになった。
一時期、現地のテレビ局がドロンズを取り上げたほど人気を集めたのです。
10年以上前の記憶なのに、毎週欠かさず見ていたから、
若干の間違いはありながらも、色々思い出してくるのです。
アメリカで現地のコントをやったけど、あまり評判は良くなかった。
カナダに行き、アラスカに行き、ゴールを迎えた。
画像元:https://youtu.be/Bv0qGe5b-fY
ヒッチハイクの企画を終えて石本さんが帰宅すると、
干していた靴下にキノコが生えていた。
その後、彼女がやってきて……
僕が覚えてるドロンズはそこまでですね。
電波少年のスピンオフ番組でも何か企画してたそうですが、
あまり覚えておりません。
その後、だんだんドロンズの名前を聞かなくなりました。
思えば猿岩石もそうだったな。
ヒッチハイク後の苦しみと解決
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今回、石本さんを調べていた時、いつの間にか解散してたこと。
飲食店を営んでいたことは全く知らず、びっくりしました。
週刊女性Primeのインタビューによりますと、
ヒッチハイク企画を終えた後、売れない時期が続いた。
特に「猿岩石の二番煎じ」といわれて苦しかった。
その時救ってくれた人が、故・やしきたかじんさんだった。
たかじんさんが気遣いながらボケ倒してくれたおかげで、
二番煎じといわれても気にしなくなった。
それぞれの進路が異なるため、ドロンズは解散しました。
笑まるというサイトのインタビューによりますと、
普段何かあったら、すぐ相方に相談していたが……今はいない。
彼にとって最も苦しい時期に見舞われた。
そこで事務所の社長に相談したところ、社長は述べました。
「マネージャーに相談しなさい」
石本さんは述べています。
マネージャーを相方と思ってあれこれ相談した結果、
彼が次々と仕事を持ってきてくれたと。
相談の一つがお店だった。
結果、石本さんは馬肉店を開くことができたのです。
※上記画像は石本さんが経営するお店の肉。
ドロンズ石本が共演者から学んだ教え
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マネージャーにいろいろ相談した一つが俳優だった。
結果、俳優の仕事も得ることができました。
先輩役者の柴田恭兵さんが石本さんにいいアドバイスを述べたのです。
「共演者と上手くコミュニケーションを取っていると、
本番で想像を超えた実力を発揮してくれる」
ここからコミュニケーションの本質を学んだ。
インタビューではラインを使って、共演者同士で今もやり取りしているとのこと。
特に誰かが誕生日の時、
みんなで「誕生日おめでとう」とメッセージを送る。
これだけで絆と強い信頼が生まれるとのこと。
もう一人、芸人の南原清隆さんからいいアドバイスをもらいました。
テレビ番組のスタッフは「自分の仕事こそ一番最高」と思ってやっている。
だから仕事の中身に関係なく、全力で頑張れと。
全力でぶつかる一つが、今回のアメトークにつながるのですね。