仙道敦子出演おしんのヤバさを調べた結果こんな恐ろしいコトがあったとは!



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明日のあさイチプレミアムトークに女優の仙道敦子さんがでます。

仙道敦子さんは11歳から子役としてテレビデビューをし、
23歳まで女優として拓さんのドラマや映画に出ました。

結婚してお子さんを生んでからは芸能界から遠ざかったのですが、
去年、あるきっかけで再び女優業を再開したのです。

さて仙道さんといえば大有名な朝ドラ「おしん」があります。

今回のなつぞらでも主人公の小林綾子さんとも共演し、
テレビではものすごくにぎわっているのです。

ところで僕はおしん世代ではありません。
だけど僕の両親がおしん世代であり、どんだけすごいのか?

その上、おしんが現在もどれだけ多くの人に影響を与えているか。
ある国では大規模なあれに発展したとのこと。

 

仙道敦子がおしんで演じた役って?

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おしんは1983年から84年までNHKで放送した朝ドラです。

戦中から戦後までを生き抜いた明治生まれの女性の物語であり、
最高視聴率62.9%とテレビで最高視聴率を出しております。

原作と脚本は渡る世間は鬼ばかりの橋田壽賀子さん、
少女編を小林綾子さんが、田中裕子さんが青年期を、
乙羽信子さんが老年期を演じております。

仙道さん(当時14歳)はおしんの姉を演じておりました。
青年期に入ると肺結核でなくなってしまうのです。

おしんの生き方において、身近な人の死を味わうキャラかつ、
将来を決める重要人物でもあります。

 

おしん世代でなくてもわかる、おしんの凄さ

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おしんは戦前、戦中、戦後における様々な戦いを描きました。

戦いといっても戦争はもちろんのこと、理不尽ないじめや暴力、
自然災害(関東大震災など)、経営者(戦後)としての葛藤……

そのうえ息子との確執など、生まれてから死ぬまで常に戦いの日々でした。

仙道さんはおしんの姉役で出ており、
19歳になって肺結核を患い、妹おしんに希望を託してこの世を去ります。

姉との別れもおしんにとって、大きな苦しみと次への道を与えました。

戦いから逃げることなく堂々と向き合い、
時に弱音をはいたりアクシデントに襲われて頭が真っ白になったりと、
これでもかと問題が襲ってくるけれど、死なずに生きた。

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おしんの生き方を通し、視聴者の大半がこう思ったとのこと。

「私はおしんだ!」

当時の内閣総理大臣だった田中角栄(上記画像)さんですら、
「俺は男おしんだ」と涙を流してみていたのです。

自分で引き起こした問題も含め、あらゆる障害に心が折れそうになっても、
絶対に死なないし逃げないし立ち向かう姿勢に感動を覚えた
のです。

感動はただ涙を流す行為でなく、生きる原動力にもなります。

視聴者の中にも身近な人が死に、おしんと一体化した人がいるでしょう。
日本人を含む多くの人が小林綾子さんや田中裕子さんを
「おしん」と捉えたせいで、役者としてみんな見なかった
のです。

どういうことか。

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例えばおしんをいじめた役を演じた人に対しては、
町中で「役名(役者の名前でない)」を呼びながらにらまれた。
演者の中には歩くのですらままならなかったとのこと。

ほかにもおしんを演じた小林さんは中東だと国賓扱いされています。

エジプトではおしん放送時に停電が起きて、大規模な暴動へ発展し、
ジャマイカでは自分の子供に「おしん」とつける子が増えたとのこと。

あと湾岸戦争でおしんとキャプテン翼の放送により、
日本を敵視する中東の人々を減らすことに成功したのです。

外交にまで発展するとは……すっげえなあ。

 

仙道敦子はおしんでどんな影響を受けた?

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僕として気になる部分は仙道敦子さんがおしんに出ていた時、
実際の生活にどんな影響を受けたのかという部分です。

現在放送中の朝ドラ「なつぞら」で仙道さんと小林さんが共演します。
あさイチトークではなつぞら及び小林さんとの若い頃の思い出を語るでしょう。

おしんについて仙道さんは何か述べていないか?

調べたのですが……あさイチに出演するまで特に情報はありませんでした。

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翌日、あさイチプレミアムトークにて仙道さんがおしんの思い出を語っていました

  • 山形弁がとても大変だった
  • セリフが長く間違えないよう緊張しっぱなしだった
  • 小林さん(妹おしん役)とは撮影外でも姉妹のような関係になっていた
  • 敦(息子)いわく、女優に戻った母親はとてもきれいな女性になっていた

全体としてセリフをきちんと伝えるところに精いっぱいで、
撮影時の記憶があまりなく、とても大変だったとのこと。
14歳で重要な役をになっておりますもの。

 

20年も空白期間があった仙道敦子の役作りについて

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代わりに出てきた発言が役作りです。
仙道さんは久しぶりにドラマへ出るため、まずは体力作りから始めました。

日々ウォーキングやソフトテニスを通し、
簡単に息切れをしなくなるまで体を鍛えたとのこと。

続いて演じるドラマの背景を取材しに行きました。
例えばこの世界の片隅では戦時中の広島が舞台です。

だから原爆ドームを見に行き、資料をたくさん読んだうえで演じた。

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後は仙道さんが脇役で別の人が主人公として直接向き合うシーンでは、
演じる人の顔写真を拡大コピーして何かに貼り付け、
目の前にその人がいると思い浮かべて演技の練習をした
のです。

おしんの時はどんな風に役作りをしていたのでしょうか?
今と同じようにやっていたのでしょうか?

ちなみに仙道さんは子役出身です。
若い頃のこちらの画像を見ると、本当に美しい。

そのうえでこんなドラマもあるのです。まさか……

 

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