漫画『キングダム』は、古代中国の春秋戦国時代末期を舞台にした作品で、史実をもとに大きな流れを描いています。
完全なノンフィクションではなく、原作者の原先生もインタビューで「史実そのままだと面白くならないため脚色している」と語っています。
『キングダム』ファンにとって、現在登場している7国(秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓)が史実でどの順番で滅びるのかは非常に気になるポイントでしょう。
そこで今回は、以下の3つを紹介します。
・史実における7国が滅びる順番
・それぞれの国を滅ぼした人物
・中華統一のその後
この順番を追いながら、『キングダム』の物語と史実を比べていきます。
【キングダム】に登場する七つの国とは?
中国史上で最も激しい動乱の時代の一つとして知られる戦国時代は、紀元前5世紀から紀元前3世紀にかけて続きました。この時代には、七つの大国(韓、趙、魏、楚、燕、斉、秦)が互いに覇権を争い、数百年にわたる戦乱が繰り広げられました。
そして、この戦乱の時代の終わりに最終的に勝ち残ったのが秦でした。秦は他の六国を順次滅ぼし、ついに中華統一を成し遂げることになります。
キングダム 史実にもとづく国が滅びる順番は?(戦国七雄 滅亡順)
韓の滅亡 (紀元前230年)「騰」の活躍により2年で「韓」は滅びる
紀元前232年に始まった「韓」攻略は、わずか2年で決着を迎えます。その戦いの結果、「韓」は「騰」の活躍により滅亡することになります。中華最弱とも言われる「韓」には、大将軍・成恢の死により現在明かされている将軍は「洛亜完」と「博王谷」のみであり、新たな強力なキャラクターが登場する可能性は低いでしょう。
もちろん、「飛信隊」も貢献したと考えられますが、やはり「韓」滅亡の最大の功労者は「騰」であるとされています。戦力差や描ける展開の少なさから、「韓攻略」については物語の中でも短期間でさくっと終わると予想されます。
趙の滅亡 (紀元前228年) 政治戦略によって「趙」を滅ぼす
紀元前232年の「番吾の戦い」で「趙」に敗北した「秦」ですが、その後、わずか4年で「韓」と「趙」の2国を滅ぼすことに成功します。まず紀元前230年に「韓」を滅ぼし、次なる標的として再び「趙」を狙うこととなりました。
今回の「趙」攻略では、従来の正攻法ではなく「昌平君」によると考えられる巧妙な政治戦略が用いられるようです。この戦略の中で、「秦」は「趙」の最大の将である「李牧」を標的とし、秦は趙の要人の郭隗を買収し、趙王に李牧と司馬昭が謀反を企てていると嘘の情報を流しそれを信じた趙王によって李牧は処刑されてしまいます。「李牧」がいる限り「趙」は存続できていましたが、彼の死によって状況は一変し、「趙」は崩壊への道をたどります。こうして、紀元前228年には「王翦軍」が「趙」を滅ぼすことになるのです。
もしかすると、「カイネ」など「李牧派」に属する者たちは、裏切る可能性もあるでしょう。いずれにせよ、「秦」は見事に「趙」を滅亡させ、その策が大きな勝利をもたらすことになります。
魏の滅亡 (紀元前225年) 王賁の水攻め
紀元前226年、「秦」は「燕」への侵攻を開始しましたが、滅ぼすには至りませんでした。その後、秦は次なる標的として「魏」へと舵を切ります。翌年の紀元前225年には、王賁の活躍によって「魏」が滅ぼされることとなり、わずか1年での短期決戦が展開されます。
「キングダム」の物語においても、「燕」侵攻の際から既に次の戦略が練られている様子が描かれるのではないかと予想しています。特に、「魏」侵攻では史実に基づく水攻めが行われ、どのような形で物語が展開するのか注目されるところです。戦略や戦術の描写がどのように表現されるのか、楽しみな展開が続くでしょう。
楚の滅亡 (紀元前223年) 王翦により
中華統一に向けて最後に「楚」を滅ぼすと思われていましたが、実は「楚」も早々に滅亡してしまいます。
紀元前225年に「魏」が滅亡した同年、「秦」は李信と蒙恬を「楚」へと送り込みますが、楚の将軍・項燕に大敗を喫します。この敗北は、楚がやはり大国であることを示すものでもありました。
しかし、紀元前223年、項燕が李信と蒙恬に勝利したにもかかわらず、王翦が率いる大軍には歯が立ちませんでした。「楚」は秦の昌平君を楚王として迎え入れるなど最後の抵抗を試みますが、ついに滅亡する運命をたどります。
燕の滅亡 (紀元前222年) 王賁により
「燕」は、戦国時代後半においても、秦との争いを続けましたが、王賁によって滅ぼされました。
燕はかつて、秦王の暗殺を試みましたが、その計画が失敗に終わったことが原因で、秦の報復を招きました。
最終的に、秦の軍事力に屈し、燕の王は捕らえられ、燕は滅亡しました。
斉の滅亡 (紀元前221年) 王賁・蒙恬・李信が「斉」を滅ぼす
紀元前222年に「燕」を滅ぼしたことで、「秦」の統一に向けて残るは「斉」のみとなりました。史実によれば、紀元前221年に王賁・蒙恬・李信が「斉」への侵攻を開始し、最終的に「斉」は滅亡します。
ただし、「斉」については非公式ながら、嬴政と斉王との討論の末に、斉王が嬴政の描く未来に同意し、「斉」に侵攻される際は抵抗せず降伏する意向を示していたとされています。そのため、「キングダム」の物語では、王賁・蒙恬・李信が表向き進軍するものの、戦いが行われず、血が流れない展開になるのではと予想されます。
また、次世代の大将軍である王賁・蒙恬・李信に華を持たせるため、王翦や蒙武は出陣せず、若い将たちによる「斉」攻略として描かれるのではないでしょうか。
キングダム:戦国七雄を滅亡させ中華統一した秦国のその後
秦王は中華統一を成し遂げた後、「始皇帝」と名乗り、万里の長城の建設や全国を36郡に分けるなど多くの改革を行いました。しかし紀元前206年、秦国は滅亡してしまいます。
その最大の要因は、始皇帝の死でした。始皇帝が亡くなると秦の政治情勢は混乱し、中華を統率する力を失っていきます。その隙を突くように反乱軍が攻め込み、即位した子嬰は降伏し、秦国は滅亡しました。
始皇帝がもし長生きしていれば歴史は大きく変わったかもしれませんが、彼は不老不死に強い執着を持ち、有毒な水銀でさえ不老不死に効果があると信じて服用していたため、逆に寿命を縮める結果となりました。
歴史上では暴君として知られる始皇帝ですが、アニメ「キングダム」の嬴政を見ると、彼からはその姿は想像がつかないですね。
まとめ
『キングダム 史実において国が滅びる順番は?ラストはどの国?誰が倒す?』についてお伝えしました。
これらの史実を頭に入れて『キングダム』を読むと、物語をさらに深く楽しめるのではないでしょうか。ぜひお楽しみください!