横浜流星は極真空手で世界一!流派や道場は?



出典:https://www.tvlife.jp/

数多くのドラマや映画で活躍している横浜流星は、筋肉がすごいことで有名です。

横浜流星は、幼い頃から習っている空手で、中学生の時に世界大会で優勝しています。

横浜流星の空手歴について調べてみます。

 

横浜流星は空手の世界大会で世界一!

横浜流星が、中学生3年生の時に、「2011第7回国際青少年空手道選手権大会」13・14歳55kgの部で優勝しています。そしてその後の「第7回国際親善空手道選手大会」で、世界一に輝いています。


この大会は、世界70の国や地域から選手が参加していて、横浜流星が出場した13・14歳55kgの部には、57人の選手が参加していて、最低5回勝たなければ優勝できないというハードな戦いです。


横浜流星は、通っていた道場で、打たせ稽古という練習をしていました。その稽古について、「打たせ稽古は、キツい!立ったまま先生にひたすらローキックされる稽古で、必死で我慢していたらそのまま失神したこともあった」と、激しい稽古の内容を話していました。

 

横浜流星は、もし俳優の道を志していなかったら、「K-1ファイター」になっていたかもしれないし、また、父親の職業の大工になっていたかもしれないと、k-1ファイターの道もあったと話していました。


横浜流星は、世界一になった翌年にも3位になっていて、連覇こそ出来ませんでしたが、きちんと足跡を残しています。

 

横浜流星の流派は極真?

空手を大きく分けるとノンコンタクト空手とフルコンタクト空手になります。

横浜流星が習っていた極真空手は、打撃を中心としたフルコンタクト空手になります。

創始者は「空手バカ一代」のモデルとなった故・大山倍達さんです。

大山倍達

フルコンタクト空手は、相手にダメージを与えて勝敗をつけるスポーツなので、通常「ケンカ空手」と呼ばれています。

危険がついてまわるスポーツですが、世界で1200万人以上の人が所属している流派になります。


横浜流星は、道場の中でも弱い方でしたが、人一倍努力したので、初段の腕前で黒帯の持ち主です。

 

横浜流星の通っていた道場は?

横浜流星が所属していたのは、埼玉県北葛飾郡にある松伏道場です。


松伏道場は、2009年4月に新築しているので、横浜流星が通っていた場所とは違っているようです。

2020年10月19日の「しゃべくり007」に横浜流星が出演した時に、道場の恩師である岡田先生が出演して、「流星は空手が好きで、真面目にコツコツ努力できるタイプ」と話していました。

松伏道場には、横浜流星の籍を今も残していると言います。

 

横浜流星が極真空手を始めたきっかけ

横浜流星が極真空手を習い始めていた時に
野球やサッカー、水泳なども始めていました。沢山やっていた中で、空手をやっている時が1番楽しかったといい、両親に自分から「空手がやりたい」と伝えたと言います。


また、楽しいと思った他に、乙女座でまつ毛がくるんとしていることから、女の子ぽいとよく言われていたので、始めたとも話しています。

デビューしたての頃の画像をみると、目がぱっちりしていて女の子のような見た目に見えます。

強くなりたいからとかかっこよくなりたいからという理由ではなく女の子ぽいと言われる事が多かったからと意外な理由もありました。

 

横浜流星が極真空手を辞めた理由

横浜流星は、高校3年になる前の進路を考えた時に、空手をこのまま続けて格闘技の世界に進むか、大学に進学するか、芸能界でやっていくか3択で悩んでいたと言います。

その頃ドラマの撮影をしていて、撮影を通してどんどん俳優という職業に興味が湧いてきていたといいます。

それで俳優1本でやっていくと気持ちが決まったと言うことです。


家族と初めて一緒に行った原宿でスカウトされたのが小学6年の時で、小中女児向けのファション雑誌「ニコプチ」や「ニコラ」などでモデルを務めました。

その時から、ニコラ王子などど呼ばれていて人気投票では1位に輝いています。


2011年に、特撮ドラマ「仮面ライダーフォーゼ」でデビューを果たして、2014年の特撮ドラマ「烈車戦隊トッキュウジャー」で、トッキュウ4号のヒカリ役で人気が、ではじめました。

その後深田恭子が主演した「初めて恋をした時に読む話」でブレイクします。

 

まとめ

横浜流星の空手について書いてきました。幼少期から打ち勝った空手は、アクションなどの演技に活かしていけます。

ますます、演技の幅が広がった横浜流星のお芝居を見守って行きたいと思います。