画像元:https://www.instagram.com/marisekine/
今週土曜日のフジテレビに、
土曜プレミアム、IPPONグランプリで、
芸人のハリウッドザコシショウさんが出ます。
ハリウッド ザコシショウ
最初、ハリウッド・ザ・コショウ(胡椒)
だと思っていました。
続いてハリウッド・ザ・コシショウ(小師匠)
だと思っていたのです。
どんな人なんだろうと気になり、
調べたところ「吉本 くび」
という言葉が出て、
ザコシショウさん、何かやらかしたん?
※上記画像左は関根麻里さん。
ハリウッドザコシショウの簡単な生い立ち
画像元:https://www.youtube.com/watch?v=gc9iSoxSfTI
はじめにハリウッドザコシショウさんの簡単な生い立ちを見ます。
本名は中澤滋紀さん、1974年2月静岡県生まれの2020年時点で46歳。
ハリウッドザコシショウさんの文春インタビューによりますと、
小学校2年生のとき、ビートたけしさんの体をはった漫才に憧れました。
もう一人、俳優の竹中直人さんのコントを見て、今の芸風を作ったとのこと。
静岡県立清水工業学校を卒業した後、大阪のよしもとに入りました。
インタビューによるとお金の問題もあったのです。
1993年に静岡茶っぱさんを相方にG★MENSというコンビでデビューを飾り、
2002年までハイテンションな漫才を繰り広げておりました。
実際に動画を見ますと、コシショウさんが相方を引っ張り、
ひたすらテンションの高い芸を繰り広げていたのです。
なお相方は芸人を辞めて現在は介護のお仕事に携わっています。
※フェイスブックに勤務地が出ている。
まさかベネッセが介護事業に乗り出していたとは。
ハリウッドザコシショウの由来が意外過ぎる
画像元:https://www.youtube.com/watch?v=4K0_21f0kk0
文春オンラインにてハリウッドザコシショウさんのインタビューがありました。
テンションの高い芸は小学校5,6年からの延長とのこと。
ハイテンションギャグはお子さんに受けますよね。
失礼を承知で書きますが、小学生のギャグは頭を使うよりも、
見た目のインパクトでどっと笑います。
小学生が読むギャグマンガとして有名な雑誌はコロコロコミック。
ドラえもんやマリオ君をはじめ、すごくわかりやすいよう、
インパクトを優先し笑いに変えております。
コロコロのギャグマンガとして一番わかりやすい作品が、
でんじゃらすじーさんです。あれは大人が読んでも面白い。
コロコロについてはここくらいにして、
コシショウさんは高校で相方の静岡茶っぱさんと出会います。
静岡茶っぱさんは不良グループに絡まれ、いじめられながらも、
決して折れず曲げず、己を貫いた。
ザコシショウさんは彼を見て思いました。
雑魚の中の師匠。
画像元:https://www.youtube.com/watch?v=1Fh0MNSfVx0
いじめられているグループにいるけど自分を相手にゆだねず、
きちんと己の信念を持って不良グループと戦っていた。
高校を出て大阪よしもとに通い静岡さんとコンビを組むとき、
コシショウさんが「君がザコシショウを名乗ってよ」
提案したところ、見事断られました。
すると「じゃあ、俺がザコシショウを名乗る」
ハリウッドザコシショウさんによりますと、
自分は”二代目”ザコシショウであり、初代は元相方とのこと。
今では静岡茶っぱという名前になっていますが、
当時はおながらどぶみたいに臭いからという、
何とも適当な理由で「ドブシショウ」と名乗っていたのです。
画像元:https://www.youtube.com/watch?v=STN5j6cTi64
二人の漫才はほとんど笑いをとれず、
コンビ解散後は漫画を描いて雑誌社に持ち込んだところ、
ものすごく酷評を受けて、こういわれたのです。
もうちょっとお笑いの勉強をしなさい
ザコシショウさんにとって今でも腹立つ記憶の一つとなっており、
彼にとって人生を変えたきっかけになっていると、僕は思います。
自分の得意分野をぼろくそに否定されることほど辛いものはありません。
ここであきらめるか、立ち上がるかでその後の未来が決まるのです。
ある意味、雑誌編集者に否定されてよかったのかもしれません。
※上記画像はザコシショウさんが描いた漫画
ハリウッドザコシショウが吉本をクビ(解雇)にされた?
画像元:https://www.youtube.com/watch?v=JLMef6IVfHs
さてコンビを解散しピン芸人になったザコシショウさん。
エキサイトニュースのインタビューによりますと、
ザコシショウさんは二つの事務所を渡り歩いています。
はじめはよしもと、つぎはワタナベエンターテインメント、
そして現在はソニー・ミュージックアーティスツに在籍しています。
吉本には8年間在籍し、まだG★MENS時代であり、
辞めた理由はよしもとからの解雇でなく決断です。
大阪で芸を繰り広げていたが、笑えない芸人No1になっていた。
大阪で下積みを行うより東京でやり直そう。
そしてワタナベエンターテインメントのオーディションに受け、
見事合格してよしもとを辞めたのです。よしもとからの解雇通知ではありません。
よしもととワタナベの違いとして、ネタを作ったとき、
よしもとはお客様の前で、ワタナベは事務所の人々に見てもらうとのこと。
後にコンビを解散した後、事務所とザコシショウさんの意見が折り合わず、
ワタナベを辞めて空白の時代が生じます。
この時漫画家になろうとしたけど雑誌の編集者からぼろくそに言われ、
「自分にはやっぱ体を張ったお笑いしかない」覚悟を決めました。
もう一度よしもとに入ろうと決めたのですが……
オーディション段階でたくさん人が殺到しあきらめたのです。
ちょうどソニーのほうでお笑い部門を欲していたので、現在の事務所に入りました。
画像元:https://www.youtube.com/watch?v=JLMef6IVfHs
まずザコシショウさんはお笑いの勉強を一からやり直した。
そして自分の強みを見つけ、2007年TBSの番組「あらびき団」で、
ブレイクの兆しを見せたのです。
そして現在に至ります。
はじめ、芸人として全く売れず別の業界に行ってもぼろくそに批判され、
自分はこれしかないと覚悟を抱き、一からやり直し、チャンスをものにする。
うん、ただただ深い。自分の進路を決めた結果、こんな状態になりました。
これを見ると、あの決断はよかったんだなと思います。
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