画像元:https://www.instagram.com/softbankhawks_official/
僕は友人とだけ戯れる用の
ツイッターアカウントを持っています。
複数(4人)の友人があるツイートを取り上げ、
話題にしておりました。
福岡ソフトバンクホークス
嘉弥真新也(画像左)選手の年俸爆上がりに関する
ニュースを取り上げて、褒めていたのです。
僕はあまり野球について詳しく知りません。
複数の友達が同時に嘉弥真新也選手を取り上げる。
何か意味があるぞ。
勝手に決めて、とても気になったので調べました。
友人が取り上げた記事によりますと、
月収14万円の選手が一気に1億円とのこと。
何があったんだよ。
※画像右は松田宣浩選手。
嘉弥真新也選手の簡単な生い立ち
画像元:https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/428125/
はじめに嘉弥真新也選手の生い立ちを見ていきましょう。
嘉弥真新也選手の呼び方は「かやましんや」といいます。
1989年沖縄県石垣市生まれ。
野球との出会いは小学校4年生時、
地元石垣市の野球クラブに所属していたのです。
八重山農林高では外野手だけでなく投手としても活動した。
しかし甲子園に行って実力と知名度を上げるほど力はなかった。
spotivaのインタビューによりますと、
八重山商工は現在ロッテに在籍する大嶺祐太率いる、
八重山商業高校がとても強かった。
一方嘉弥真新也選手がいた農業はそれほど強くなかった。
入試でなんとしてでも受かりたくて農林高校を選んだとのこと。
またインタビューでは当時から目立つ存在というよりも、
自分の周りにはどうあがいても勝てない選手ばかりいて、
彼らと張り合う気はもちろん、投手へのこだわりもなかった。
高校三年生の初戦で嘉弥真新也選手の放ったボールが
敵チームから撃たれまくり、敗退を喫します。
高校卒業した後、プロの野球選手を目指す気はなく、
とにかく就職先を選ぶ日だった。
結果、不動産大手のビッグ開発に入ります。
ビッグ開発では社会人専用の野球クラブがありました。
初めは4番手5番手投手だったものの、気が付けば主戦選手へとなったのです。
何があったのでしょうか?
ビック開発採用者の証言
画像元:https://www.nishinippon.co.jp/
spotivaのインタビューによりますと、
当時ビック開発部では社会人野球部を創設し、
嘉弥真新也選手は一期生として選ばれたとのこと。
ビック開発代表者は嘉弥真新也選手を見たとき、
次のように語っています。
「なんとしてでもプロ野球選手になりたい!
といったオーラを持っておらず、就職活動の一つとして来ただけ。
実際にプレーを見たら打者としてのセンスはあるが、
他にギラリと光センスは持っていない」
初対面での印象はどちらかというと、あまり良くなかった。
当時の嘉弥真新也選手が持つ欠点は返球及び投球の遅さでした。
チームメイトは「あまりぱっとしない選手」と語っています。
一方で「手先が器用で変化球のセンスはいい」とも語っているのです。
二年目はライバルから簡単にポジションを奪われ、
ずるずると四番手、五番手へと下がっていったのです。
どん底へ落ちるのをあまり畏れていない選手だなと、
インタビューを読んで僕は思いました。
大逆転となる宮里伊吹木主将(当時)のしごき
画像元:http://yuhharinken.blogspot.com/
2年かかってようやくほかの企業チームにも
勝てるようになったビック開発部チーム。
チームが勝つためにはみんなの底上げが必要だ。
みんなには当然控えも含んでいる!
そうとらえた当時のチームキャプテンだった宮里伊吹木(上記画像)選手。
宮里選手は現在、当時敵対していた沖縄電力に捕手として在籍しています。
宮里選手はチームの底上げを図るため、
自分の練習時間を犠牲にして周りのレベルアップに力を注いだ。
宮里選手いわく、嘉弥真新也選手は自分からやる人でなく、
人から言われてはじめて動くタイプだった。
嘉弥真新也選手は考えた。なんとか練習をサボることができないか?
あれこれ考えて他の選手らと一緒に宮里選手を誘惑しまくった。
例えば居酒屋ではお酒を飲ませまくった。
しかし、一番早く起きてるのがいつも宮里選手だった。
「これは何をしてもダメだ……」
宮里選手への不満を漏らしつつ練習に付き合っていると……
「あれ、球速早くなってる」
球速が速くなっただけでなく、元々得意だった変化球を組み合わせた結果、
気がつけばエース投手の仲間入りとなっていたのです。
器用な手先に関するエピソードとして、
嘉弥真新也選手が新しい変化球を身に着けるべく、
ピッチングコーチの元に訪れた。
たった10球で新しい変化球を身に着けてしまった!
手先が器用だからできる技とのこと。
ただ変化球は勝負球でなく打者の目をそらすための手段として使い、
ここに嘉弥真新也選手の性格と勝負師としての面白さが見えますね。
この後はエース投手として活躍し、
企業大会にてソフトバンクのスカウトマンの目に留まり、
福岡ソフトバンクホークスへと入ったのです。
嘉弥真新也選手の年俸推移
画像元:https://www.gurazeni.com/player/612
ビック開発部で宮里主将(当時)の底上げ訓練により、
頭角を現した嘉弥真新也選手。
年俸推移を見ていきますと、
ビック開発部にいたころは月収14万円だった。
22歳でソフトバンクホークスに入ったとき、契約金は3000万円だった。
2年間は年俸1000万円、25歳から28歳まで2500万前後をうろつき、
29歳(2018年)で4000万、30歳で8000万。
2020年から1億を越えて。現在はさらに3000万上乗せしています。
年俸が2倍になった2018年と2017年の防御率を見ていきますと、
平均2.7ほどあったのです。
防御率は1点台が素晴らしい選手であり、
5点を超えると2軍に落とされるレベルとのこと。
最優秀防御率は2点台前半であり、
2点台後半になると、エースとして認められるとみなされます。
2020年(去年優勝)は何と防御率2.1!
いかにすごいかがわかるのです。