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今年のプロ野球もあと少しで終わります。
プロ野球が終わると、本格的に冬が来たな!
僕は感じるのです。
先日、ソフトバンクを数回優勝に導いた
工藤公康監督が引退するとのこと。
工藤監督がソフトバンクを引退した後、
WBCの監督を務めるかもしれません。
日本ハムファイターズを応援する僕として、
幾度となく日ハムを地獄に叩き落した
工藤監督が好きになれません。
※ソフトバンクファンの方々、すみません。
好き嫌いは置いとき、
実際監督としてどんな評価を受けていたのか。
選手時代はどうだったのか?
色々気になって調べたところ……震えました。
特に「わざと負ける」戦略部分が!
※画像両端は歌手のゆず
工藤公康監督の簡単な生い立ち
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はじめに工藤公康監督の簡単な生い立ちから書きます。
1963年に愛知県名古屋市で生まれました。2021年時点で58歳。
幼い頃に両親が離婚し、工藤少年は父親に育てられました。
6歳のころにお父さんが再婚、連れ語の子供はもちろん、
二人の間に生まれた子供たちと一緒に暮らしたのです。
子供時代の家庭事情は監督という職業に影響を与えたと思っています。
自分以外の同い年、それより下(他人)と一緒に暮らすのですから。
工藤少年は小学校三年生時、お父さんから野球を教えられます。
(父親がジャイアンツファン)
工藤少年がカーブを投げたところ、父から投手をすすめられた。
4年生になって野球チームに入り、カーブに磨きをかけ、チームを優勝に導いたのです。
中学に入ると、工藤選手は野球部でなくハンドボール部に入ります。
ところがハンドボール部の顧問(先生)が工藤少年のボールさばきを見たとき、
「お前、野球部に行け」
何と野球部へ移籍させられ、中学でも地区大会で優勝を飾ったのです。
なかなかないですよね。この時点で野球の天才です。
もちろんいくつかの高校から直接スカウトがあり、
工藤青年は名古屋電気高校に入ったのです。
甲子園までいったものの、準決勝で敗れてしまった。
工藤青年はカーブを駆使し、ほとんど相手チームに点数をとらせなかった。
そこに社会人野球はもちろん、プロ野球も目をつけ、
色々あって西武が工藤選手を手に入れたのです。
1982年に西部、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人、横浜、
そして再び西部へと移り、2012年に選手引退を表明。
30年も野球選手として活躍していたのですね。
野球引退後はコメンテーターを務めつつ、筑波大学大学院に入学し、
そして2014年に福岡ソフトバンクダイエーホークスに監督として就任。
先日、ソフトバンクの監督を降りると発表があったのです。
工藤公康選手としての評価を調べた結果
画像元:https://youtu.be/e5fJAL2OCjE
工藤公康選手はストレートとカーブが武器でした。
いくつかのカーブを見たところ、するりと曲がり、確かにえぐい。
動画をいろいろ見ていたところ、
細かすぎて伝わらないモノマネ選手権にて、
工藤選手のカーブを演じてる芸人がおりました。
そこに気になるインタビューがあったのです。
動画ではピッチャーとキャッチャーで連絡を取りながら、
何を投げてバッターを三振あるいは最小限の被害に抑えるか。
アイコンタクトや身振り手振りで会話を行います。
工藤選手がダイエー(現在のソフトバンクホークス)にいたころ、
キャッチャーは当時新人だった城島健司選手だった。
工藤選手はわざと自分が何を投げるかを相手に教えつつも、
城島捕手に投球戦略を教えていった(下記画像)。
画像元:https://youtu.be/e5fJAL2OCjE
当時のインタビューによりますと、
「試合の中で教えるのが一番よく、終わった後にあれこれ言っても遅い」
選手として工藤さんは試合での勝利にも情熱を傾ける一方、
後輩への指導のためにあえて点を取られる、
時には負けるという戦いをしていた。
点を取られたとき、どうしてやられたのか。
相手チームにどう見抜かれ、どう欺けばいいのか。
すでに監督としての才能が選手時代に出ていたのです。
そりゃソフトバンクホークスは工藤選手を監督に起用したいわけだ。
工藤公康の監督としての評価を調べた結果
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次に監督としての評価を調べてみました。
知恵袋で工藤監督の評価を調べたところ……
「実力のない、運のいい監督」とあり、びっくり。
工藤監督の前に頑張っていた監督、スタッフらの教育が、
工藤公康さんが監督になって、ようやく開花した。
才能を開花させたときにたまたま工藤監督が選ばれただけ。
誰が監督でも優勝できた。
厳しい評価をなされているのです。
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一方で西日本スポーツによりますと、
ソフトバンクが四連覇を達成した翌日、
すぐさまスタッフを集めて会議を開きました。
連覇はしたけど、課題もたくさんある。
より強くしていくために、新しい課題も提供しなければならないと。
勝って兜の緒を締めよをやっているのですね。
もう一つ、東洋経済のインタビューによりますと、
監督はチームを作る存在ではないと述べています。
チームの存在を作る役割はキャプテンであり、
個々の能力を極限まで高めていく際、予想外の出来事もある。
例:ケガとか喧嘩とか
予想外の出来事に対してすぐさま対応し、
キャプテンが迷ったときはすぐさま元の道に気づかせてあげる。
そのうえで焦らずじっくり、きちんとチャンスは来るから。
メンタルケアをするのが監督の役割だと語っています。
「誰が監督になっても優勝できた」はある部分だと正しいし、
別の部分では違うと僕は見ています。
キャプテンがチームの色を決めるという意味では正しいけど、
予想外の展開に対するケアとカバーは監督の力量によって分かれる。
なるほど。仕事にもつかえますね。
日ハムもここを見習うべき、なのかなあ……