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あさって土曜日のサッカーバラエティ、
FOOT×BRAINに元日本代表監督の、
岡田武史さんが出ます。
久しぶりに岡田監督の名前を聞いた。
岡田監督といえばワールドカップで監督として勤め、
負けたものの色々人気を集めた監督でした。
現在どこで何をしているのか。
当時どれだけすごかったのか。
調べたところ…… すごい。
全く予想もしていなかったので、
びっくりしました。
※上記画像左はプロレスラー清宮海斗選手
岡田武史の簡単な生い立ち
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はじめに岡田武史監督の簡単な生い立ちから見ていきます。
1956年8月大阪生まれの2020年時点で63歳。
現在はFC今治運営で夢スポーツ代表取締役、
城西国際大学特任教授、
日本エンタープライズ社外取締役を担っています。
岡田さんのスポーツ人生を振り返りますと、
最初はサッカーでなく野球少年だったのです。
現在は福岡ソフトバンク、
当時は南海ホークス運営の「子どもの会」に入り、
野球をしながらホークスを応援する野球小僧でした。
しかし中学校に入り先輩後輩の上下関係の厳しさから野球をあきらめます。
どのポジションを担当していたかはわかりません。
ちょうどメキシコシティー五輪(1968年)が開かれ、
サッカーに注目が集まり、サッカー部へ入ります。
監督としての基礎を作った高校時代
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インタビューによりますと、
岡田さんは大阪府立天王寺高校でもサッカー部に入りました。
キャプテンを務め、3年生でユースに選ばれたのです。
天王寺高校は当時も現在も他校に比べ、あまり強くありません。
(在校生のかた、ごめんなさい)
高校受験ナビの部活相談によりますと、
「人間関係のいざこざが多いよ」書き込みがありました。
※同じく火消し書き込みも多数あった。
僕もいざこざが多いという印象しか抱かない。
当時の天王寺高校で監督は試合にしか現れず、
練習メニューはすべて岡田さんが考え実践しておりました。
監督が頼りない人だからこそ自分たちで考えなければならなかった。
キャプテンとして動きつつ、試合展開を考えていたのですね。
もし監督が有能でゲームメイクやプレイヤーの動かし方を、
積極的に考えていたら「監督岡田武史」は生まれていなかったでしょう。
くわえて天王寺高校は進学校であり、
岡田さんはがむしゃらにやったのでなく理論を立てて実践しました。
進学校としての理論と監督不在かつ主将としての生き方が、
後のサッカー人生に大きく影響を与えるのです。
岡田武史の大学および古河電工時代から引退まで
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一浪した後岡さんは早稲田に入りました。
受験勉強に明け暮れたせいか、太ってしまいました。
はじめはサッカー部でなく同好会に所属していましたが、
日本サッカー協会関係者が説得し、早稲田大学サッカー部へ入ったのです。
大学を出たらマスコミに行く予定だったけど落ちてしまい、
古河電工に就職しサッカー部へ入ります。
結果日本リーグで優勝を飾り、アジアクラブでも優勝したのです。
1980年(当時24歳)、ジャパンカップへ出場し、活躍したものの……
1984年、試合中に肉離れをおこし、
90年になると様々な差を実感し、引退を決めました。
ちなみに引退を決めた理由の一つとして、
バックパスをミスし相手チームにゴールを入れられたこと。
また自分が世界で戦うのでなく、
世界で戦える日本人選手をいかにつくり育てていくか?
自分がダメなら後継者を育てればいいと切り替えの早さが素晴らしい。
他業種にもパクられる岡田武史の凄さとは
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岡田武史選手の現役時代を調べたところ、
眼鏡をかけておらず若くてびっくり(当たり前)!
僕は日本代表監督時代の岡田さんしか知りません。
当時あったバラエティ番組、めちゃイケでは岡村隆史さんが、
岡田監督に扮してインタビューコントを行っていました。
岡田さんのポジションはディフェンダーで、守備であり最初のフォワードでもあります。
古川電工時代の監督によりますと、
岡田さんは身体能力や技術はあまり高くなかった代わりに、
戦略や予測能力が高く、コーチングが的確だったとのこと。
コーチングとはほかの選手に対する指示であり、
戦略とは相手からボールをとる、点を取る、パスを回すといった、
試合中での最適行動及び計画を示します。
理論とは感性で動くのでなく、
「この時、こうだから、こう動いたほうが最適だよね」と、
無駄を省いて試合に挑むための知恵でございます。
岡田さんは理論とコーチングを徹底して行い、選手たちも動きやすかった。
動きやすいほど点に結びつく確率が高まります。
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岡田さんの理論は監督時代でも十分に発揮し、
選手は無駄なく動き、声をかけあって(コーチング)、
優勝という輝かしい実績を出しています。
岡田さんの試合勘は高校時代が一つのきっかけです。
野球少年時代はどうだったのか?
もし岡田さんの役割が全体を見渡せるキャッチャーなら、
すでに理論及び試合を俯瞰する基礎を身に着けていたかもしれません。
なお岡田武史監督の戦略インタビューによりますと、
16歳から基本をつけたのち、自由に育っていくのがいいとのこと。
岡田さんのやり方はラグビー業界でも戦略の一つとして使われており、
別分野でも簡単に応用が利くところが凄い。
一方監督としてはこんな業績を残しています。
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