画像元:https://twitter.com/fukushi_o
昨日ツイッターにて、
落合博満元監督がトレンドに上がっていました。
上島竜兵さんがなくなったことから、
「もしかして……」
とても嫌な予感をして、
正体を探ったところ……ウマ娘だと!
YOUTUBEにてウマ娘を語っており、
引退してからも自由気ままに意見を述べ、
「こういう老後もいいものだ」思ってしまったのです。
自殺といった死亡でなく、ほっとしています。
落合博満さんって現役時代、
実績を出しながらも嫌われていた印象が強く、
改めて当時の生い立ちを振り返り、
現在の生き方を比べると……
※画像左の女性は落合信子夫人、撮影者は息子の福嗣君。
お互い年をとったなあ。
落合博満元監督の簡単な生い立ち
プロ野球の試合をチェックする“ #オレ流 ”
オフショットは落合福嗣さん( @fukushi_o )の提供です!あす5月15日は講演会!
来場予定の皆様、行ってらっしゃいませ!#落合博満 講演会2022「オレ流野球の真実、決断と采配、本物のリーダーとは」(日本青年館)
スペシャルゲスト: #森繁和 #川崎憲次郎 pic.twitter.com/2bQIcbucN8— 【公式】落合博満のオレ流チャンネル (@ochiaioreryu) May 14, 2022
始めに落合博満元監督の簡単な生い立ちから見ていきます。
1953年秋田県生まれ。7人兄弟の末っ子として生まれ、
幼い頃から新聞紙を丸めて野球遊びを行っていた。
長嶋茂雄元監督に憧れ、成績は優秀、
地元の野球チームでもエースとなった。
高校はいろんなところから誘いがあったものの、
本人は野球選手でなく就職を目指し、選手にうるさくない高校、
秋田県立秋田工業を選んだのです。
しかし落合青年にとって辛い場所を選んでしまった。
秋田工業は上下関係がとても厳しく、
「先輩後輩も関係ない」チームかつ村で育った彼にとって、
精神的にやられてしまい、不登校児となってしまったのです。
落合監督にこんな歴史があったとは……
高校を出た後は東洋大に行き、野球部を選ぶものの……
肩と足をケガしつつ、秋田工業時代と変わらない先輩後輩体質に、
再び心をやられ、大学を中退。
大学を中退した後はボーリング場でアルバイトをこなしつつ、
地元の草野球チームに入り、地元の恩師と出会い、進路相談し、
社会人野球セレクションを受け、合格してしまった。
東京芝浦電気に就職し、昼は組立員、夕方以降は野球選手として、
仕事と野球選手の両立を図り、78年のドラフト会議でロッテから指名が入り、
気が付けばプロ野球選手となっていたのです。
落合監督がプロ野球入りする前の生い立ちを見ていますと、
「野球選手になるべくしてなる」というのは、彼のような生き方を示すのですね。
どれだけ横道にそれようとも、何かしら野球と接していれば、時代・世間が彼を逃さない。
一方で必死になりたくて日々練習をこなしても、プロになれない人もいる。
この差はいったいどこにあるのでしょうかね。
野球選手:落合博満
79年から落合さんはロッテの選手として活躍します。
87年から中日へ、94年に巨人、96年に日本ハム。98年に引退します。
現役時代の落合選手がどれだけすごかったのか?
色々調べてみました。
僕自身、落合監督を初めて知ったときは巨人時代で、
当時松井秀喜選手に注目していたから、落合さんはそれほどでも……
解説ブログや知恵袋、ツイッターなどによりますと、
28歳の若さで三冠王に輝き、3度も取ってしまったこと。
3年連続首位打者に選ばれていたことがすごい。
また2ストライクで追い込まれたときも、
普通にヒットあるいはホームランを放ち、3割以上の打率を誇っていた。
落合選手によると、松沼博久選手(当時)のやり方を真似しつつ改良を行い、
インコースに焦点を絞ってヒットあるいはホームランを放った。
落合さんにとって外側(アウトロー)は苦手とのこと。
だけど落合さんはライトへよくボールを飛ばしており、
「落合を打ち取るならアウトコースではだめだ。インコースにしないと」
※ライトによく飛ばす=アウトコースが得意、と思われていた。
落合対策が、かえって落合選手にとって仇となったのです。
選手引退後の落合博満監督時代
画像元:https://npb.jp/bis/teams/yearly_d.html
引退後は野球解説者として、また横浜ベイスターズ打撃コーチとして就職し、
2003年に中日監督となり、2011年まで務めました。
中日監督として何度か優勝していた一方で、
中日OB(特に経営陣)から嫌われていたのですね。
要因として落合監督は結果に強くこだわったこと。
派閥を作らせないよう、あれこれ対策を練ったことを上げています。
派閥を創るとえこひいきが生じ、強い選手よりも弱い選手が出てしまう。
それはチームのためにはならないし、結果として組織もギスギスな空気をまとう。
経営陣らは「今までの中日、なれ合い」社会がよかったけど、
落合監督はなれ合いをつぶして別の仕組みを作った。
当時、マスコミによる落合叩きがすごかったのを覚えています。
落合監督が引退した後、なれ合い社会に再び戻ってしまった。
上記画像で監督名の次にある項目が成績です。
一回も優勝できていませんが、経営陣はこれでいいのでしょう。
※ファンは経営陣にメチャクチャ切れていると。
監督引退後の落合博満が楽しい生活を送っている件
監督を引退した後は、再び解説者に戻りつつ、
中日のGMとして選手の育成やドラフト会議の使命者としてのお仕事を。
そして今年からYOUTUBEにて落合博満チャンネルを開設、
今はYOUTUBEに関する話題が有名となっています。
最近でも落合監督の言葉から、
スマホゲームの「ウマ娘」が出て、笑ってしまいました。
孫から「ウマ娘やろうよ」言われてやったところ、
野球選手なみにある娘馬を育て、強く鍛え上げてしまった。
野球監督が名馬トレーナーに転生しちゃった、でしょうか。
仮に落合選手がほかのスポーツ監督だったら、
あるいは経営者だったらどういう采配をしているか。
僕は興味を持つのです。
落合さんはこだわりを持っているけど、意地悪な人ではない。
いい老後生活を送っている。
現役及び監督時代は理不尽に叩かれていましたけど、
きちんと生きており、YOUTUBEであれこれ述べる生活。
いい生活を送っているなと思ったのです。