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本日の行列のできる法律相談事務所で、
元巨人選手で監督だった高橋由伸さんが出ます。
高橋由伸さんが野球選手及び監督になれた理由も、
お父さんの影響がとても大きいです。
高橋由伸さんのお父さんはどんな仕事を営んでいるか?
調べたところ、経営者であると分かりました。
会社や会社名を調べたところ……いやいやいや、ちょっと。
高橋由伸の父親が残した遺産
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高橋由伸さんの父親は高橋重衛と出ております。写真はありません。
1939年生まれ、2014年(75歳)に心不全で他界しています。
由伸さんは1975年生まれであり、
お父さんが36歳の時に由伸さんが生まれました。
由伸さんが39歳の時、お亡くなりになったのです。
お父さんは不動産会社の社長であったものの、
経営に失敗して60億円の借金を抱えてしまいます。
90年代前半にバブルがはじけ、
不良債権(回収困難な債権。債権とは投資商品)が出てしまった。
巨人は80億円ほどお金を出して、お父さんの借金返済にあてました。
もちろん借金返済に充てたお金は、由伸さんの年俸から差し引かれます。
お父さんは由伸さんに負の遺産を残したまま、亡くなったのです。
最も、お父さんは負ばかりではなく由伸さんを育てたという、
素晴らしい財産も残しました。詳細はこちら。
高橋由伸が必死だった真の理由
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お父さんの遺産を継いでしまったため、
由伸さんは巨人のほかの選手に比べ、常に全力で挑み、走っていた。
遺産は負ばかりではありません。
父の指導によって竹バッドで芯を捉えるきれいなフォームでバッドを握り、
多くのファンを引き付けました。
高橋由伸さんの魅力という正の財産を築いていったのですね。
(もちろん、8割以上は由伸さんの努力ですが)
この姿勢についてファンは思っています。
ファンの声をこちらからお読みください。
由伸さんのお父さんは借金を巨人に肩代わりしてもらった後、
さらにとんでもないことをしでかします。
高橋重衛さんは老人ホーム経営にも手を出した
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お父さんは事業をやめればよかった……と、
たいていの人は思うでしょうが、彼は経営者です。
なんと老人ホーム経営に手を出します。
バブル後の日本を見るにあたり「老人ホームはビジネスになる!」
経営者としてのカンがさえて、手を出したのではないでしょうか。
経営者は従業員と見る目が違いますし。
いつ頃老人ホーム事業に手を出したのか?
90年代前半に借金を抱えました。由伸さんは98年に巨人へ入ります。
98年に借金を肩代わりしてもらったと考えた場合、
2000年あたりに老人ビジネスがおいしいとにらんだのでしょう。
この時の統計をいろいろ調べてみたところ、
介護給付金は2000年度に3.6兆円、13年度には9.4兆円と膨らんでおります。
僕の周りでも老人ホームがたくさん増えましたし。
介護事業は売上高営業利益率で見ると8%と、
ビジネスとしては儲かる部類に入ります。
※売上高営業利益率は営業利益/売上高の割合、数字が高いほど営業効率が良いと判定
介護に費やすお金も増えたから、ビジネスチャンスととらえたのでしょう。
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一方で倒産件数を見ていきますと、12年から13年の倒産率が上がっていますね。
由伸さんのお父さんと同じように、
老人や介護業界にチャンスを見出した人がどんどん参入し、
サービスの悪いところが淘汰されました。
由伸さんのお父さんも競争に負けて、さらに借金を背負ってしまったのです。
さらなる負の遺産を残してしまったのですね。
お父さんの生き方に驚くばかりです。
高橋由伸の父親の会社名って何?
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お父さんは不動産や老人ホームを経営していました。
法人なので会社名はあるはず。
思って調べたのですけれど、どこにもありません。
すでに会社がなくなって月日が経つからでしょうか?
あるいは巨人がマスコミに手をまわし、伏せてもらったのでしょうか?
一つ面白い事実があります。
お父さんの会社がやばくなった時期が90年代前半です。
およそ23年前の52歳に多額の借金を抱えております。
由伸選手は1975年生まれなので……16歳(桐蔭学園)で経営が傾いたのですね。
しかも由伸さんは指定校推薦枠で、慶應義塾大学に入りました。
慶応大学は私学であり授業料がべらぼうに高い。
由伸さんが奨学金を使ったという話もありません。
料金は1年間で132万円もかかるのです。
比較として東京大学は1年間で55万円ほど。
不動産で多額の借金を出したにもかかわらず、お子さんの大学入学料を出すあたり、
お父さんは子供に使うお金をきちんと残していたのですね。
巨人に肩代わりしてもらう前に、自己破産を行う方法もありました。
もしかすると由伸さんの高校や大学入学料金が、
借金返済手段として取られる恐れがあったのかもしれません。
また周りにもばれて由伸さんの選手経歴に大きな傷がつく所だった。
お父さんなりの考え方があったのでしょう。
監督への転機となった2014年
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お父さんがなくなられた2014年の、高橋由伸さんの活躍を調べました。
お父さんがなくなった翌日、試合に出てソロホームランを放ちます。
1週間後に試合で指をケガし、治らず、選手として登録を抹消されたのです。
巨人は由伸選手に一軍打撃コーチを与えます。
2015年は代打として活躍し安打数3000を超えたものの、
原監督の勇退で新しい監督になるのです。
お父さんの死はある意味、由伸さんにとって人生の転機といえます。
もしお父さんがなくなっていなければ、
2016年も選手として活動していたかもしれません。
ちょうどケガをして主力選手として働いていなかったからこそ、
由伸さんが監督として選ばれたのでしょう。
なお監督としての僕なりの考え方はこちらにあります。
成績は良くなかったけれど、ある方面ではよい成果を出したのです。
これからもいろいろあると思いますが、頑張ってほしいところです。
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