カベポスター浜田の元勤務先トヨタエピソードがもたらした鬼の覚悟




画像元:https://twitter.com/shimoyama_abc

先日ABCお笑いグランプリにて、
608組の芸人の中から見事優勝した、
コンビ「カベポスター」

始めてカベポスターという名前を聞いたとき、
何とも適当だなと思いました。

カベポスターは浜田さん(画像右)と永見さん(左)からなるモデル
でなくてお笑い芸人です。

浜田さんを調べると「トヨタ」に関して、
ちょっとしたエピソードがありました。

どうしても必要なんですね、これは。

 


カベポスター浜田の生い立ち

カベポスター浜田順平さんは1987年大阪府出身
立ち位置は右でツッコミ担当。

身長173cm血液型はB。

noteにある月刊芸人のインタビューによりますと、
大阪府生まれもあって、お笑いがとても身近にあった。

西川きよし師匠と横山やすし師匠の漫才を、
じいちゃんばあちゃんと一緒に見ていた。

小学校中学校とM-1グランプリをはじめとする、
様々なお笑い番組を真剣に見ていた。

一方で高校在学中、お笑いに対してのめりこむあまり、
旬の芸人を真似する人たちに苛立ち、
旬の芸人に対しても見下し感情を募らせました。

当時の自分を「ちびまる子ちゃんの野口さん」表現しています。

高校ではお笑い好きを封印し、お笑いの感性が合う少数の友達と仲良くなった。

その一人は後に落語家「桂華紋(かつらかもん)」となって、
プロの落語家として腕を磨いているのです。

桂さん含む少数の友達に「自分は芸人になりたい」いった。

 


高校1年生夏に出会ったバッファロー吾郎

noteのインタビューによりますと、
高校1年生時、夏休みに勉強合宿がありました。

バッファロー吾郎さん主催「ダイナマイツ関西」イベントを、
勉強の休憩中に見てしまった。

あまりにも面白すぎた。こいつらには勝てない。
どうやっても笑いにつながる理由を説明できない。

芸人の夢をあきらめたのです。

芸人の夢をあきらめて、浜田少年は大阪市立大法学部に進みました。

たくさん友達を作り、アルバイトをやり、
旅行を楽しむユースホステル部へ入り、
原付バイクの免許をとって東西日本一周をし、
一度大学を休学してフィジーに留学し……

まるで高校時代の生活をひっくり返すかのごとく、
どんどんアウトドア志向の青年へと変わったのです。

高校一年生で一度夢をあきらめた。

自分の言葉で説明できない笑いがあり、
笑いに自信のあった自分が初めて敗北・挫折を抱いた。

結果、自分の将来を見据えて今までとは違う生活を志すようになった。

人生は面白いものです。そしてさらに面白くなるのがこちら。

 


大手自動車メーカー(トヨタ)で味わった地獄

画像元:https://yanmaga.jp/comics/

noteのインタビューには「某大手自動車メーカー」のみ記載され、
具体的にどの会社かは書いておりません。

色々調べたところ「トヨタ」の可能性が限りなく高いとのこと。

ぴあ関西のインタビューで本人の口からトヨタ勤務と確定しました。

大手自動車メーカーに働いたものの、地獄の日々だった。
(留学や日本一周が決めてになったとのこと)

体力もメンタルもきつく、仕事へのモチベーションもわかず、
1年半で辞めてしまったのです。

昔の人が見ると「根性のない奴」ですが、
僕も過去似た体験をしたので、すごく気持ちがわかります

どれだけ給料が高く生活が保障されても、
あわないものはとことんあわないのです。

浜田さんがトヨタのどの部門に回されたのか、色々調べてもありませんでした。

営業や経理だと思っています。工学系出身なら組み立てに行くでしょう。

目先のノルマを越えるために頭を使う。
笑いを使わない・使えない職場で雑務をこなす。

浜田さんにとっては強烈な地獄だったと考えます。

画像元:https://www.ch-files.net/kp/

大手メーカーをやめて、彼は再び自分を見つめなおした。

すると「お笑い」への夢がふつふつと出てきた
NSCを調べてすぐさま応募したのです。

CHファイルズのインタビューによりますと、
自分はエリートコースから道を外した人間だと述べています。

「お笑いで失敗するのも、エリートコースから外れるのも一緒。
大学生になってすぐ芸人はできなかった」語っているのです。

一度就職して地獄を味わったからこそ、
本当にすべきことへ覚悟ができたのですね。

浜田さんと同じ形で芸人になった人として、こちらの男性がいます。

彼も町工場で働き、自分の仕事に大きな違和感を抱き、
仕事をやめたのち、昔から好きだったお笑いを目指すようになりました。

 


よしもとへの応募に迷った経緯

CHファイルズのインタビューによりますと、
NSCへの応募はぎりぎりまで迷ったとのこと。

元々恥ずかしがり屋で、親しい人はもちろん親にも言えなかった。
SUPER BUTTER DOGの『サヨナラCOLOR』(上記動画)を聞いて決心したのです。

人生は長い、自分が好きで楽しく生きられる仕事をしたい。
笑いが好きだし、笑ってもらえる芸人が一番楽しい。

NSCにて浜田さんは大喜利でなくMCやネタ作りを目指していました。
何人かとコンビを組んでみたけど、しっくりこなかった。

NSCを出た後、今の相方永見さんから声をかけ、コンビを組んだのです。
すぐさま息が合うわけでなかった。

浜田さんは相方の出すネタが面白いと確信を抱き、
自分から折れる側(相方に身をゆだねる)に変えた

相方にゆだねて、自分はあまり意見や文句を出さない

結果、どんどん笑いをとれるようになり、
ABCグランプリで優勝を勝ち取るほどの腕前になったのです。

おめでとうございます。