画像元:https://twitter.com/shimoyama_abc
先日ABCお笑いグランプリにて、
608組の芸人の中から見事優勝した、
コンビ「カベポスター」。
始めてカベポスターという名前を聞いたとき、
何とも適当だなと思いました。
カベポスターは浜田さん(画像右)と永見さん(左)からなるモデル
でなくてお笑い芸人です。
浜田さんを調べると「トヨタ」に関して、
ちょっとしたエピソードがありました。
どうしても必要なんですね、これは。
カベポスター浜田の生い立ち
https://twitter.com/shumatsu_y/status/1533299825101316097
カベポスター浜田順平さんは1987年大阪府出身。
立ち位置は右でツッコミ担当。
身長173cm血液型はB。
noteにある月刊芸人のインタビューによりますと、
大阪府生まれもあって、お笑いがとても身近にあった。
西川きよし師匠と横山やすし師匠の漫才を、
じいちゃんばあちゃんと一緒に見ていた。
小学校中学校とM-1グランプリをはじめとする、
様々なお笑い番組を真剣に見ていた。
一方で高校在学中、お笑いに対してのめりこむあまり、
旬の芸人を真似する人たちに苛立ち、
旬の芸人に対しても見下し感情を募らせました。
当時の自分を「ちびまる子ちゃんの野口さん」表現しています。
高校ではお笑い好きを封印し、お笑いの感性が合う少数の友達と仲良くなった。
その一人は後に落語家「桂華紋(かつらかもん)」となって、
プロの落語家として腕を磨いているのです。
桂さん含む少数の友達に「自分は芸人になりたい」いった。
高校1年生夏に出会ったバッファロー吾郎
noteのインタビューによりますと、
高校1年生時、夏休みに勉強合宿がありました。
バッファロー吾郎さん主催「ダイナマイツ関西」イベントを、
勉強の休憩中に見てしまった。
あまりにも面白すぎた。こいつらには勝てない。
どうやっても笑いにつながる理由を説明できない。
芸人の夢をあきらめたのです。
芸人の夢をあきらめて、浜田少年は大阪市立大法学部に進みました。
たくさん友達を作り、アルバイトをやり、
旅行を楽しむユースホステル部へ入り、
原付バイクの免許をとって東西日本一周をし、
一度大学を休学してフィジーに留学し……
まるで高校時代の生活をひっくり返すかのごとく、
どんどんアウトドア志向の青年へと変わったのです。
高校一年生で一度夢をあきらめた。
自分の言葉で説明できない笑いがあり、
笑いに自信のあった自分が初めて敗北・挫折を抱いた。
結果、自分の将来を見据えて今までとは違う生活を志すようになった。
人生は面白いものです。そしてさらに面白くなるのがこちら。
大手自動車メーカー(トヨタ)で味わった地獄
画像元:https://yanmaga.jp/comics/
noteのインタビューには「某大手自動車メーカー」のみ記載され、
具体的にどの会社かは書いておりません。
色々調べたところ「トヨタ」の可能性が限りなく高いとのこと。
ぴあ関西のインタビューで本人の口からトヨタ勤務と確定しました。
大手自動車メーカーに働いたものの、地獄の日々だった。
(留学や日本一周が決めてになったとのこと)
体力もメンタルもきつく、仕事へのモチベーションもわかず、
1年半で辞めてしまったのです。
昔の人が見ると「根性のない奴」ですが、
僕も過去似た体験をしたので、すごく気持ちがわかります。
どれだけ給料が高く生活が保障されても、
あわないものはとことんあわないのです。
浜田さんがトヨタのどの部門に回されたのか、色々調べてもありませんでした。
営業や経理だと思っています。工学系出身なら組み立てに行くでしょう。
目先のノルマを越えるために頭を使う。
笑いを使わない・使えない職場で雑務をこなす。
浜田さんにとっては強烈な地獄だったと考えます。
画像元:https://www.ch-files.net/kp/
大手メーカーをやめて、彼は再び自分を見つめなおした。
すると「お笑い」への夢がふつふつと出てきた。
NSCを調べてすぐさま応募したのです。
CHファイルズのインタビューによりますと、
自分はエリートコースから道を外した人間だと述べています。
「お笑いで失敗するのも、エリートコースから外れるのも一緒。
大学生になってすぐ芸人はできなかった」語っているのです。
一度就職して地獄を味わったからこそ、
本当にすべきことへ覚悟ができたのですね。
浜田さんと同じ形で芸人になった人として、こちらの男性がいます。
彼も町工場で働き、自分の仕事に大きな違和感を抱き、
仕事をやめたのち、昔から好きだったお笑いを目指すようになりました。
よしもとへの応募に迷った経緯
CHファイルズのインタビューによりますと、
NSCへの応募はぎりぎりまで迷ったとのこと。
元々恥ずかしがり屋で、親しい人はもちろん親にも言えなかった。
SUPER BUTTER DOGの『サヨナラCOLOR』(上記動画)を聞いて決心したのです。
人生は長い、自分が好きで楽しく生きられる仕事をしたい。
笑いが好きだし、笑ってもらえる芸人が一番楽しい。
NSCにて浜田さんは大喜利でなくMCやネタ作りを目指していました。
何人かとコンビを組んでみたけど、しっくりこなかった。
NSCを出た後、今の相方永見さんから声をかけ、コンビを組んだのです。
すぐさま息が合うわけでなかった。
浜田さんは相方の出すネタが面白いと確信を抱き、
自分から折れる側(相方に身をゆだねる)に変えた。
相方にゆだねて、自分はあまり意見や文句を出さない。
結果、どんどん笑いをとれるようになり、
ABCグランプリで優勝を勝ち取るほどの腕前になったのです。
おめでとうございます。