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イケメン俳優グループD-BOYSのメンバーでもあり、俳優として活躍している山田裕貴さん。
最近では『特捜9』シリーズをはじめとしたドラマや映画にも多く出演しています。
イケメンなだけでなく演技力の高さも評価されており、その役柄と演技のふり幅から「カメレオン俳優」とも呼ばれています。
そんな山田裕貴さんですが、父親が元プロ野球選手で、自身もプロ野球選手を目指していた時期があったということをご存じですか。
さらに、山田裕貴さんが現在のように人気俳優になれたきっかけも、父親の言葉がきっかけだったとか!
そこで今回は、気になる山田裕貴さんの父親の経歴から、山田裕貴さんを人気俳優にするきっかけとなったのはどんな言葉だったのかなどを詳しく紹介していきます。
父親は中日ドラゴンズと広島カープで活躍した山田和利(やまだかずとし)
山田裕貴さんの父親は、1983年~1996年の29年間にわたって、中日ドラゴンズと広島東洋カープで活躍した元プロ野球選手の山田和利(やまだかずとし)さんです。
えっ👀⁉️
俳優『山田裕貴さん』って、カープの『山田和利さん』の子供さん、だったのね‼️😅知らなかった‼️😆💦 pic.twitter.com/V3PUY9jGiT— 🍎フジりんご🍎デグー🔰 (@fujiringo1962) October 4, 2019
100mを11秒台で走れる俊足と東邦高校でキャプテンを務めたことが評価され、1984年にドラフト4位で中日へ入団しました。
#この選手中日にいたんだ選手権
何か、トレンド入りしてるので😂
地元愛知は東邦高校出身の山田和利選手
個人的に高校の先輩です😀現在はカープで二軍の守備走塁コーチをされていますね😊
息子さんは、俳優の山田裕貴さん😆
お父さんの同じ高校出てるので、私の後輩じゃん🤣 pic.twitter.com/x1TDd2S98r— あっ☆きぃ∞⚾️⚽️🎹🥁🎸 (@cocomikoponan12) May 10, 2020
しばらくは一軍に貢献できない日々が続きますが、1988年は82試合という多くの試合に出場し、ユーティリティプレイヤーとして攻守ともに活躍してリーグ優勝に貢献しました。
その後1990年には広島東洋カープに移籍し、そこからは強打の内野手へと変貌を遂げます。1995年には94試合に出場を果たし打率270、12本塁打、53打点という成績でチームに貢献しました。
そして、1996年には中日へ復帰し大きな期待をかけられていましたが、故障が原因で一軍出場はかなわないまま同年での引退を決意します。
引退後はコーチに就任し、1997年~2004年に二軍打撃コーチや走塁コーチ、二軍野手総合チーフコーチなどを務め、2005年からはフロント入りしました。
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2011年には広島の二軍守備・走塁コーチ、1012年からは球団編成を担当し2015年の50歳というポイントで、再び広島の二軍守備・走塁コーチをしています。
球団編成とは、選手のスカウトや監督・コーチの人事、年俸の査定といった仕事です。
コーチとして現場で選手の指導をするだけでなく、球団編成という裏方の仕事も任せられるのは、実力だけでなく人を見る目もあったということですね。
山田裕貴さんの父親・和利さんは、選手時代もコーチに就任してからも、現在に至るまで活躍し続けています。
探し物してたら懐かしい写真。中日時代の山田和利。
息子の山田裕貴を初めて見た時、目以外のパーツはソックリだからドラえもんに出てくる「木こりの泉」のきれいなジャイアンみたいで、それ以来山田裕貴を「きれいな山田和利…」と思ってしまう。 pic.twitter.com/vb5qOrRLrD— みこ (@miconovsky) September 13, 2020
山田裕貴もプロを目指してピッチャーをやっていた!名門·東邦高校に入部
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山田裕貴さんは、父親に憧れて小学校・中学校時代は野球をやっていて、中学の時はシニアリーグでピッチャーを務める野球選手でした。
山田裕貴、父親共々、東邦高校出身なんだな…父親はドラゴンズに入団したらしいけど…#しゃべくり007 #ntv
— ぱふぇっち%命あってのものだねー (@oira_perfect) May 27, 2019
そして高校は野球の名門である東邦高校へ進学するも、プロ野球の道は諦めてしまったといいます。
その理由はプロとして活躍する父と比べてしまい、「自分で蓋をしてしまって辞めてしまったんですよ」と自身で語っていました。
また動画のインタビューでも、
『どうしても近い存在に壁が、父親という壁があったりだとか、チームメイトも「プロ野球選手の息子なのに」って言われたりして、「自分では無理なんじゃないか」って思って、中学校で野球をやめてしまって…』
と当時の心境を話しています。
あまりにも偉大な親を持つからこその悩みであり、その苦悩は本人にしかわからない辛いものだったのでしょう。
夢と現実のギャップ、周囲からの期待やプレッシャーに押しつぶされて心が折れてしまったのが、プロ野球をやめてしまった理由のようです。
しかし2018年には、父の背番号30をつけてナゴヤドームでの始球式を行っており、その時のツイッターには、
「父が選手だったこともあり
プロ野球選手になるのは夢でした。
夢破れましたが
まさか、聖地に立たせて頂けるとは…
マウンドにあがれるとは…泣
もう感動してます。この写真の頃のように魂の一球を投げたい!」
と中学時代の写真を添えて投稿していました。
本番ではノーバンで見事なストレートを披露し、終了後のインタビューでは感極まって涙を流す様子が話題となりました。
2018.8.10
ナゴヤドーム 山田裕貴さん 始球式 イケメン♪ pic.twitter.com/iYfgKzKHhW— れい@ドラゴンズ垢 (@rei1209r) August 11, 2018
さらに、以前ドラマの合間に行ったというピッチング練習の様子を公開し、なんとそこで球速142キロをたたき出したのです。
本人は「たまたま球が…一球だけ」と謙遜していたようですが、やはり少年時代にプロ野球を目指していただけありますね。
これを見たファンからも、「鳥肌が立ちました、凄い!」「芸能界最速いけるー!」「たまたま出る速度じゃないよ」と絶賛されていました。
山田裕貴が俳優を目指したのは父親の一言がきっかけ
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父親の和利さんは、息子の裕貴さんに「野球をやれ」と言ったことはなかったそうですが、裕貴さんが挫折した時、「自分でやりたいと言ったことを、なんで最後までやり遂げなかったんだ」と言ったそうです。
野球を辞めたことにではなく、自分で決めた意志を貫き通さなかったことに怒ったんですね。
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その言葉がきっかけとなり、裕貴さんは「次にやることは何があっても続けよう」と心に決め、映画やテレビの世界にあこがれて俳優を目指すことになったといいます。
そして、俳優として活躍してからも
「道は違うけれど、父親が自分のことをプロとして認めてくれている。それが俳優としての原動力になっていると思います。」
と語っています。
自分で決めたことをやり続け俳優として成功して以降も、裕貴さんにとって和利さんの影響力がとても大きいことがよくわかりますね。
父親に憧れて夢をみて、父親の偉大さの前に挫折し、父親の言葉で新しい道へ進み、父親に認められるために諦めないという山田裕貴さんの人生から、父親の偉大さがどれだけすごいものなのかがよくわかりますね。
まとめ
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今回は、俳優として活躍中の山田裕貴さんとその父親である和利さんについて紹介してきました。
山田裕貴さんは、幼少期から偉大な父親の後ろ姿を見てきたことでさまざまな感情に揺さぶられてきていたんですね。
そして俳優として成功した現在は、より強い信頼関係で結ばれているようです。
このような素敵な親子関係を築けるのは、お互いを思いあっているからこそですよね。
尊敬する父の言葉を胸に、きっと今後もさらに活躍し続けていく山田裕貴さんを応援していきましょう。