画像元」https://www.instagram.com/p/Bnkq0MCHKnx/
今週金曜日のぴったんこカンカンスペシャルにて、沢松奈生子さんが出ます。
僕は彼女が何者かよくわかりません。
だから調べたところ、面白いおばちゃんだなと分かりました。
中でも有名な実家の場所を調べました。すると……
沢松奈生子の実家がある場所がすごい?
画像元:https://www.google.co.jp/maps/
沢松奈生子さんの実家がある場所は兵庫県西宮市です。
実家にテニスコートがついており、彼女の母親や親族一家も利用していたとのこと。
グーグルマップを使い、西宮市とテニスコートで検索したところ、
金仙寺テニスコートを除き、固まっているのがわかります。
テニスの練習として実家だけでなく近くのコートも利用していると考えた場合、
実家はテニスコートの近くがある場所ではないかと推測します。
画像元:http://www.pictame.com/
実家の映像を調べていたところ、
どこかのテレビ番組で取り上げていたのですね。
塀があってプライベートをきちんと守っている感じがします。
さて彼女の実家には平成の歴史を語るうえで欠かせない事件があります。
その前にまずはこちらを。
沢松奈生子の生い立ちを調べた結果
画像元:https://www.instagram.com/p/Bn2jbW6npgM/
沢松奈生子さんは1973年生まれの2019年時点で45歳。
兵庫県西宮出身で神戸松蔭女子学院大学を卒業しました。
沢松さんのお母さんは順子(1948年生まれ)さんといい、
1970年のウィンブルドン女子ダブルスでベスト8に入るほどの有名選手でした。
順子さんの妹である和子さん(3つ離れている)とペアを組んだこともあります。
沢松順子さんの旦那である忠幸さんと、
神戸松蔭女子学院大学中に知り合い、およそ72年あたりに結婚。
73年に奈生子さんが生まれました。
翌年、沢松和子-順子姉妹でウィンブルドンダブルスに挑みました。
すごいおっかちゃんだ。
母親の影響を受けて、奈生子さんも幼いころからテニスをやり、
1988年(当時15歳)に全日本テニス選手権の女子シングルスデビューを飾りました。
その後いろいろな試合に出場し、
全豪オープン出場中の1995年に"それ"はおきたのです。
阪神淡路大震災で全壊に!
画像元:https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/
1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生。
当時の映像を見るだけでもびっくりしました。
「何があったんだよこれ」と。
当時の僕にとって何がびっくりだったかというと、
震源地が淡路島という「海でなく内陸が震源地」という部分です。
犠牲者は6400人以上、ほとんどが倒壊したビルの下敷きによる圧死でした。
火災被害による家の消失は7000棟ほど。
水道施設も被害を受け、満足な水の供給がなされなかったのです。
全国から警察や消防が応援に駆け付けたものの、
交通渋滞をはじめ倒壊したビルや家によって、満足に道を走れず遅れてしまいました。
また自衛隊の出動も道の倒壊をはじめ、
権限や連絡に混乱が生じて、円滑な行動ができない状態でした。
当時の総理大臣は村山富市さん。
社民党で自衛隊の在り方については批判的な立場にいるかたです。
地震が起きたとき、政権内部では野党ともめておりました。
ここらは今でも変わっておりませんね。
阪神大震災を通し、大地震にも耐えるための建築基準法の改正をはじめ、
自衛隊の権限ほか、見直しが行われたのです。
画像元:https://plaza.rakuten.co.jp/yokotadiy/
沢松家がある西宮市は大震災で大きな影響を受け、家が全壊してしまったのです。
奈生子さんはオーストラリアにいたので、地震被害を免れました。
阪神大震災による影響なのか、4大大会の自己最高成績を出したうえ、
自身初の準々決勝まで上り詰めたのです。
大震災といった大きな災害があると見えない力が働くのか、
大きな成績を残す選手らがここにもいます。
例えばなでしこジャパン。
2011年東日本大震災が起きた後のワールドカップにて、
強豪アメリカを見事に破り、初優勝を飾りました。
その時のスーパープレーはこちらにあります。
なおこの大震災である夫婦も影響を受けました。
まさか馴れ初めにつながるとは……
沢松奈生子と平尾誠二ラグビー日本代表に共通する心
画像元:https://headlines.yahoo.co.jp/
2019年8月9日の読売新聞オンラインにて、
ラグビー日本代表の平尾誠二監督(下記画像)と沢松さんが会食しました。
沢松さんは平尾さんに心を許しており、終始和やかなムードに。
二人が付き合っているという情報ではありませんよ。
平尾さんは故人ですし。
ラグビー日本代表の平尾さんと沢松さん(上記画像は16歳)はともに神戸出身。
阪神大震災にて平尾さんは自宅(神戸)にいました。
地震が起きて奥様とお子さんの安否を確認したのち、
親戚や知人などの安否を確認するため、あちこちへ行ったのです。
画像元:https://headlines.yahoo.co.jp/
沢松さんはちょうど全豪オープンテニスがあり、こうも述べていました。
「全豪オープンテニスがなければ、死んでいただろう」
オーストラリアでは精神的につらいことが多く、
日本に帰りたいと弱音を吐きそうにもなったのですが……
阪神大震災で弱気な姿勢をなんとか吹っ飛ばしたと述べています。
阪神大震災において覚悟が決まったのか、
沢松さんは目の前の選手に勝つことに意識を向け、快進撃を出しました。
平尾誠二さんも同じく阪神大震災のおかげで弱音を吐きそうになっても、
口の中で弱音を飲み込み、情熱のある選手へと変えました。
大きな災害は生き方を変えますよね。
沢松さんと平尾さんの対談を読んで僕はなでしこジャパンを思い出しました。
東日本大震災が起きた後、なでしこジャパンは優勝します。
詳しくはこちらをお読みください。
沢松奈生子は結婚している?
画像元:https://www.irasutoya.com/
沢松奈生子さんは洋菓子製造と販売を行う会社、
ピーエムファクトリー役員の丹羽秀行さん(一般人)と結婚しております。
2005年(奈生子さんは32歳)に結ばれたのですね。
旦那さんとの馴れ初めは知人の紹介とのこと。
旦那さんもスポーツが好きとのことで、テニスを通して仲良くなったと思われます。
お二人の間に女の子のお子さんがおります。
ところでピーエムファクトリーを調べてみますと、主に洋菓子を作っております。
また採用情報によると中途採用を受け入れ、
産休を取りやすい会社であり、若い女性もよく働きに来ているとのこと。
そこで役員を務めているとのことから、
かなり頭の回転が速い人なのだろうなあと思っています。
なお、沢松さんは食事に関してある警告がなされました。
私たちの生活にも十分当てはまる怖いところです。
『中古』沢松奈生子が贈る中高年のためのたのしいテニス (NHK趣味悠々)