画像元:http://news.livedoor.com/article/detail/14843155/
今週火曜日の踊るさんま御殿にて、元サッカー選手の澤穂希選手が出ます。
昨日は澤穂希さんに一人のお子さん(女の子)がいて、
一部の人が澤さんのお子さんにも親と同じ期待(重圧)をかけるのでは?
声を紹介しました。
澤穂希選手はすでに引退をしておりますが、現役時代の実力はどのくらいすごかったのか。
一緒に振り返ってみましょう。
レジェンド澤穂希のポジションは?
※雑ですが、簡単に作成してみました。
澤穂希選手のポジションはミッドフィルターです。
ミッドフィルターはフォワードとディフェンスのセンターにいるポジション……
サッカーに詳しい人ならともかく、
大した詳しくない人だと、横文字を多用してもわかりませんよね。
攻撃する人と守備の間にいる立場で、
ある時は攻撃に回り、またある時は守備に回ると、
全体像を見渡し、頭を使う立場です。
選手の中で一番、ボールに触れる確率が高い立場です。
別名「トップ下」とも呼ばれており、
ゲームメイカー(得点をとる試合運びを決める人)とも呼ばれています。
もちろん、相手のトップ下(ゲームメイカー)が考える戦略を邪魔し、
自分たちが有利になるよう、試合とボール運びを決めなければなりません。
トップ下といえば、漫画「キャプテン翼」の主人公、大空翼選手。
小学生はフォワードにいたのですが、
中学生以降はミッドフィルダーに変わったそうです。
スペインのFCバルセロナ時代では監督にトップ下を希望したら、
2軍に落とされて悔しみを抱いたものの、
2軍で大活躍をし、無事トップ下にたどり着いたのです。
ボランチとトップ下の違い
澤穂希選手にも年齢からくる衰えには勝てず、
トップ下からボランチも任されるのですが、ボランチって何でしょう?
言葉は知っているけれど、具体的に何をするのか知りません。
調べたところ、大きな意味でトップ下もボランチも、
「ミッドフィルダー」という役割に変わりありません。
ただ守備の形に違いがあるとのこと、
4人が守備(DF)、真ん中に5人、そして攻撃の1人(FW)。
真ん中5人のうちFWに近いほうを3人選び、攻撃的MFとして活躍します。
残り二人は守備側に近く、ボランチと呼ばれているのです。
ボランチは布陣によって1人になったり3人になったりと変わります。
どちらにしろ澤選手は真ん中にいながらある時は攻撃、
ある時は守備と最も忙しい役割を担っているのです。
澤穂希のスーパープレー集を見た結果
画像元:https://youtu.be/BpkE3hi5BkU
澤穂希選手の試合を見ると、コーナーキックから、
どう見てもゴールポストへ入らないキックを通し、
ゴールポストに入れるという荒業をやっています。
しかもゴール直前、相手の腕に当たってはいるというね。
もう一つはアジアカップで日本と中国が争ったとき、
コーナーキックから澤選手一人だけ蹴る人に向かって走り、
角度をおよそ150度変えて、ゴールポストへ入れたのです。
トップ下だからこそ、わずかなスキを逃さずにとらえる。
いやあ、すごい。
動画を見ていると、つい簡単に思えてしまう錯覚が恐ろしいところ。
澤穂希のサッカー歴を振り返る
画像元:https://www.soccer-king.jp/
澤穂希さんは小学校2年生に府ロクサッカークラブへ入りました。
お兄さんと一緒に入り、頭角を現し、男子と一緒に練習したのです。
男子並みの技術を持つ一方、澤選手を女扱いする人がいなくなったとのこと。
1993年の15歳で初めてサッカー日本女子代表「なでしこジャパン」に選ばれ、
1999年に米国へ渡り、日本とは違う選手の実力に圧倒されながらも、
必死に生き抜く道を考え「クイック・サワ」と呼ばれました。
そして2011年にINAC神戸レオネッサへ入り、
ワールドカップでは世界ランク1位のアメリカを下し、初優勝。
翌年、FIFA最優秀選手賞を得てロンドンオリンピックは銀メダル、
そして2015年8月に辻上裕章選手と結婚し、12月16日に引退を決めたのです。
澤穂希さんは1978年に東京都府中市で生まれ、
帝京大学に入ったものの、アメリカへ移籍するために中退しました。
なおアメリカと聞くと僕はこの選手を思い浮かべます。
彼は野球選手であり、初めてアメリカへ渡る前は罵倒されていたのですが……
印象に残る2011W杯の澤穂希選手
画像元:https://youtu.be/BpkE3hi5BkU
やっぱり僕の中では2011年のW杯優勝が一番、いい記憶として残っています。
ちょうど東日本大震災で絶望と混乱に置かれた状況で、
大きな希望と喜びに満ち溢れていたのを覚えています。
W杯予選を決める女子アジアカップではぎりぎりで予選を通過。
面白いことに第二位のアメリカもぎりぎりで予選を通過しています。
当時の世界ランキングは5位。
1位アメリカ 2位ドイツ、3位ブラジル、4位がスウェーデンです。
日本はイギリス、ドイツ、スウェーデン、アメリカの順に勝利をおさめ、
見事優勝を飾ったのですね。
なお、ドイツとアメリカには何度試合をしても、
一度も勝てなかった相手だったのが驚き。
得点ランキング及び得点王として澤穂希選手が1位。
その1点がアメリカとの決勝で見せたゴールです。
キーパーにとって死角となる部分からボールが飛んできて、
びっくりしたんじゃないかと思っています。
こういう成績を見ていたら、そりゃ澤穂希選手のお子さんに対し、
「将来、サッカー選手になるのだろうな」と変な期待をかけられますわ。
詳しくはこちらをお読みください。